※幽霊長太郎×吸血鬼宍戸さん
※今後の展開に死ネタ含みます
※ハッピーエンド
5
吸血鬼は孤独なもの。
そう思って生きてきた。
そうしなければ生きられなかった。
生まれ故郷を離れたのは、餌となる土地の人間の数には限りがあり同輩たちに食料が行き渡らなくなったから。
家族も友人も散り散りになり、それから数百年、たった一人で街を転々とし生きながらえてきた。
世界中、いろいろなところに居を構えた。
同じところに住むのは、長くても二十年。
不老不死の吸血鬼は青年のまま見た目が変わらない。
肌には皺一つなく、黒髪は艶めきを失わない。
そんな男が人間の目に奇妙に映らないわけがなく、当然一所に留まり続けることなどできなかった。
人肌恋しいときはあった。話し相手が欲しいときもあった。
しかし、吸血鬼同士では餌の分配が立ち行かなくなり共に暮らせないし、かといって、人間とは生きる時間の流れが違いすぎて最終的にはおいてけぼりを喰らってしまう。
結局、一人きり、身を隠して生きていくしかなかったのだ。
幽霊である鳳に出会ったのは五年前の冬の朝だった。
前の晩に降り積もった雪の重みで庭の薔薇が折れたりしてはいまいか心配だった宍戸は、陽の昇り始めたばかりの薄暗い時分にベッドを出た。
日除けしつつ防寒着を着込んで玄関を出ると、門の外に人影があった。
姿格好から男だとわかったが、雪が積もった地べたに腰を下ろし、こちらに背を向け門にもたれかかっている。
はじめ宍戸は、行きずりの人間が凍死でもしているのかと思った。
氷点下の寒空に薄着で座り込んでいる上、まんじりともせず生気も感じられない。
厄介なことになった。
人間の理に習えばきちんと死体があることを通報した方がいいのだろうが、警察やら地元の人間やらがここに押し寄せてくるのは勘弁願いたい。
かといってそこらへんの雑木林に埋めようにも、一人ではそれなりに骨が折れる。
そもそも庭の手入れ以外に力仕事をしたくなかった宍戸は、一旦「それ」を放っておくことにした。
そんなことよりもまずは庭の様子を見なければ。
雪をはらい、折れた枝はないか入念に確認した。
手袋をしていなかったせいで手がかじかんで感覚がなくなったが、そのおかげで枝の棘が刺さっても作業に支障がない。
これは便利と、黙々と作業に没頭した。
ふと、視線を感じた宍戸は顔を上げた。
視線を感じる、なんてあまりにも久しぶりの感覚で反応が遅れた。
そこには先ほど門の外にいたはずの男が立っていた。
「あの……ここは、どこでしょう……?」
「……」
「あっ、すみません、勝手に入ってきてしまって。俺……俺は……」
「……」
「俺は……あれ?」
「おまえ……自分のことがわからねぇのか?」
「そう……みたいです……」
困り顔で眉尻を下げる男を見上げ、宍戸は驚きに目を見開いた。
死体だと思っていたはずの人間が動いていたからではない。
その顔を知っていたからだ。
あれは二十年ほど前のことである。
この街に越してきたばかりの宍戸は、住み着いた洋館の掃除に忙しかった。
長年放置されていたらしい空き家の中は、ひどい有り様だった。
蜘蛛の巣だらけ、ところどころ窓ガラスも割れていて、そのせいで床や壁が雨ざらしの状態だ。
何日もかけてなんとか修理と改装を終え、より住みよい空間にするために埃を落とし床を磨く。
その日もひたすら床を磨き、一階のフローリングにワックスを塗り終えた頃にはすっかり陽は落ち、空には星が出ていた。
塗りたてのワックスが乾くまではまだしばらく時間がかかる。
独特の匂いが充満している家の中に居たくはなかった宍戸は、しばらく屋根の上で昼寝ならぬ夜寝をして休憩することにした。
庭に出て蝙蝠の姿に変化する。
そして屋根へ飛び立とうとしたとき、背後の門がガシャンと錆び付いた音を立てた。
腹を空かせた野犬か何かが食い物を求めてやってきたと思った宍戸は、蝙蝠の変化を解いて振り返った。
驚かせて追い払ってやろうと思ったのだ。
しかしそこにいたのは、髪の毛が銀色の人間の子どもだった。
年齢は五歳くらいだろうか。
柵のように造られた門の鉄の棒を小さな手で握りしめる姿は、まるで縋っているかのようだ。
その鉄柵の隙間から宍戸を見つめる瞳には、驚きと恐怖が湛えられていた。
「子どもが出歩いていい時間じゃねぇだろう」
宍戸が門に向かって一歩一歩近づくたびに、子どもは小さな肩を震わせた。
しかし、さきほどの変化を目撃して怖がっていることは明白なのに、そこから逃げ去ろうとはしない。
宍戸はそのおかしな子どもと門を挟んで向き合うと、腰を屈めて顔をのぞき込んだ。
その目元は泣き腫らしたのか真っ赤に染まり、唇を強く引き結んで涙を堪えているようだった。
「おまえ、どこからきた」
宍戸の問い掛けに子どもは答えない。
「もう夜だぞ。家に帰れ」
子どもの唇がいっそう強く引き結ばれた。
泣くまいとするあまり、宍戸を睨みつけるような険しい瞳を向ける。
その姿がいじらしく思えた宍戸は、門を開け、招き入れた子どもの頭を撫でた。
「わかったぞ。おまえ、迷子だろう」
言い当てられた子どもはハッとして宍戸を見上げ、そして所在なげに俯いた。
「なんか喋れよ」
腰を折り、子どもの顔をのぞき込む。
小さな唇は傷が付いてしまいそうなほど強く噛みしめられ、瞳からは大きな滴が玉を作ってこぼれ落ちた。
ついに泣き出してしまった子どもは、俯いたまま自分の服の裾を握りしめ、声を殺してぼろぼろと涙を落とす。
雨が降ったみたいに丸いしみが地面を濡らしていくのを見下ろしながら、宍戸はなにがこの子どもに忍耐を強いているのだろうかと考えた。
この年頃の子どもと言えば、天の上からでも聞こえそうな金切り声を上げて泣きわめくのが定石だ。
それくらいの方が健康といえるだろう。
だがこの子どもはひたすらになにかに耐えている。
もって生まれた性格のせいなのか、もしくは厳格な躾によるものなのか。
宍戸はなんとなく後者である気がした。
「さっきの見てただろ?」
「……みてた」
「お、喋れんじゃねぇか。見てたならわかるだろ。怖いよな。だから帰れ。子どもは家で寝る時間だ」
「ごめん……なさい」
謝る子どもの姿に、宍戸は苦虫を噛み潰したように唇を歪めた。
今のは謝罪ではなく、日常的に言い慣れて口癖になっている類の「ごめんなさい」だ。
なにかから逃れるための、または自分を守るための言葉。
人間の親子関係におせっかいを焼くつもりは微塵もない。
ただ、こんな小さな体の中に悲しみや恐怖を詰め込んで、なお耐えなければならない彼の境遇が哀れだった。
宍戸は子どもを抱き上げた。
急に体が浮き上がり驚いた子どもが宍戸のシャツにしがみつく。
その小さな背を撫でながら歩き出した宍戸は、故郷の子守歌を口ずさんだ。
少しかなしげな旋律に、子を想う心やさしい歌詞。
違う国の言葉なので歌の意味は理解できないだろう。
だが子どもにはなにか感じるものがあったらしく、おそるおそる宍戸の首に細い腕を回し、首もとに顔を埋めてしゃくりあげ始めた。
「寂しい泣き方をするやつだなぁ」
「っく、ひっく……?」
「もっと大声出して泣いてもいいんだぞ。なぁに、誰にも聞こえやしない。ここには俺とおまえと、あとは虫と動物がいるだけだ」
ゆっくり庭を歩き回りながら、宍戸は歌い続けた。
何周もするうちに、子どもの体からは強張りが解けていき、堪えるような泣き声は徐々に子どもらしいわめき声に変わっていった。
薄い腹にため込んだ嘆きを吐き出す若々しい声は、朽ち果てている庭に生気を降らせるようだ。
しばらくして泣き疲れた子どもが眠ってしまっても、宍戸は月明かりを浴びながら庭を歩いた。
翌日、街の交番に眠る子どもをあずけ、それきりその子が宍戸のもとを訪れることはなかった。
それから二十年後、子どもは幽霊になって突然宍戸の目の前に現れた。
「宍戸さん。ぼーっとしてどうしたんです?」
庭のガーデンチェアで紅茶を飲みながら薔薇を眺めていた宍戸は、鳳の間延びした声に意識を呼び戻された。
真っ青な空が高い。
ごまかすように咳払いした宍戸は、ぬるくなった紅茶を口に含みゆっくりと喉を滑らせた。
「思い出してたんだよ。おまえのこと」
「へ? 俺のこと?」
「おまえと初めて会ったときのこと」
「ああ、宍戸さんちの前で生き倒れてたときのことですか? あ、死んでたから死に倒れか。やだなぁ、幽霊になりたてでかっこわるい頃の俺じゃないですか。忘れてくださいよ、もう」
鳳は庭にやってきた小鳥たちに餌をあげながら頬を膨らませた。
羽毛で丸くなった小鳥にそっくりだと宍戸は笑いながら、頭の隅に古い記憶を追いやる。
幽霊になった鳳は子どもの頃の出会いを忘れていた。
五年前の出会いが宍戸との初対面だと思っているようだった。
生前の記憶を失っていると言っていたから、あのときのことを覚えていなくて当然だ。
宍戸は鳳に本当のことを告げてはいない。
それに、自分とのことを覚えていることより、生きていたころの悲しみを忘れていることのほうがよっぽど鳳には幸せなことだろう。
過去よりも今。それから鳳と過ごす未来の方が、宍戸には大切だった。
宍戸は故郷の子守歌を口ずさんだ。
それは十五年前子どもの泣き声を吸った庭に、静かに染み込んでいった。
6
鳳の様子がおかしい。
宍戸のそばから離れようとしないのはいつものことだが、ふとしたときに何か別のことを考えているような表情をすることがある。
血色のない肌は相変わらずでも、更に生気の抜けたような瞳で遠くを見やっていたりする。
調子でも悪いのかと聞けば、幽霊に体調の善し悪しなんてありませんよとはぐらかされる。
「体のことを言ってんじゃねぇよ。心配ごととか悩みごととか、何か気になることがあるのなら」
「なにもありません」
そうきっぱり言われてしまえば、宍戸は鳳を追求することができない。
鳳は宍戸の眷属ではないし、執事でもない。
恋人であるが故に、無理矢理言葉を吐かせるようなことはしたくはなかった。
そんな宍戸の思いは鳳にも通じているはずだった。
それでも話してはくれない鳳のことが、宍戸は心から心配で、そして寂しかった。
7
宍戸は一つの結論に達した。
鳳の不調は成仏できないでいることによるのではないか。
もう何日も鳳は心ここにあらずの状態が続いていた。
魂の抜けた様は、ただの霞のように鳳の存在感を無くし、そばにいるのにいつの間にか消えてしまいそうで宍戸は何度も鳳の名を呼んではその存在を確かめた。
だがそれも限界だった。
鳳を想う気持ちは、いつしか宍戸に鳳の幸せを願わせた。
幽霊にとっての幸せは、成仏して天の国へ行くことだ。
この世に未練を残すことなく、まっさらな魂となって昇っていくことこそが幸福であるべきなのだ。
それを引き留め続けているのは、他でもない宍戸自身であることに気づいたとき、いかに自分がその事実から目を背けたがっていたのかを痛感した。
鳳が成仏するということは、宍戸との永遠の別れを意味する。
いくら鳳が宍戸のそばを離れたがらなかったとしても、真の幸福は天に召されることなのである。
愛する者の手を離すことは宍戸にとってはとてもつらいことだ。
長年ひとりぼっちで生きてきて、やっと得られた無二の存在である鳳と離れなければならないのは悲しく寂しい。
しかし、自分の我が儘で鳳の魂をつなぎ止め続けるのは、本当の愛とは言えないともわかっていた。
なにより、このままの鳳をもうこれ以上見てはいられなかった。
「長太郎」
細い三日月の浮かぶ夜、宍戸は鳳を月光浴に誘った。
庭に出て蝙蝠になった宍戸のあとを、ふよふよと鳳が追う。
屋根の上まで昇って人の形になった宍戸と隣り合わせて、鳳も屋根に腰を下ろした。
細切れの雲がうっすらと月明かりに照らされている。
家の周りの草木からは、虫の声や梟の鳴き声が響き、それ以外はなにもない静かな夜だった。
「綺麗な三日月ですね。血を吸うときの宍戸さんの瞳みたいだ」
「詩的なことを言うんじゃねぇよ」
「もちろん、月よりも宍戸さんの方が美しいですよ?」
肩を寄せてくる鳳の腰に片腕を回して、宍戸はぴったりと体をくっつけた。
「宍戸さん?」
手放したくない冷たい体温がそこにある。
宍戸はその体温が温かだった頃のことを知っている。
知っているということを、鳳に伝えることが彼の成仏に一役買うこともわかっている。
なぜなら幽霊にとって、自分が何者であるかを思い出すことが成仏するための条件だからだ。
わかっていて言わないでいたことを先に謝るべきだと思った宍戸は、鳳の肩に頭をあずけて瞳を閉じた。
「長太郎、ごめん。俺はおまえが生きていたころに一度会っているんだ」
秘密にしていて悪かったと、宍戸は呟いた。
「おまえがまだ小さい子どもだったころだ。俺はここに引っ越してきたばかりだった。一晩中、迷子のおまえを抱いて庭を歩いた。おまえは泣き方が下手くそでな。でも俺が生まれ故郷の子守歌を歌ってやったらわんわん泣いて、そして眠った。小さい体があったかくて、次の日には帰したけど、あのぬくもりは今でも思い出せる。まさか死んでここにまた来るなんて思いもしなかったけど」
片頬に触れる鳳の体温は夜のように冷たいまま、宍戸はゆっくりと鳳の背を撫でた。
「おまえが何者か、わかっていて黙っていた。初めの頃はいつか話してやろうと思っていたんだ。だけど毎日誰かと居ることが、長太郎が側に居ることが、俺にとっての当たり前になっちまったんだ。離したくなかった。ここで会ったことがあるって話せば、おまえはおまえのことを思い出して消えてしまうかもしれない。そう思ったら、言えなかった」
もう一度、宍戸はごめんと言った。
その手は鳳の体から離れようとはしない。
今話したことで、鳳が記憶を取り戻したら成仏していってしまうかもしれない。
いつ実体が無くなってしまうとも限らない鳳の体を、最後の瞬間まで覚えていようと思った。
二人はしばらく森から聞こえる夜の声を聞いていた。
三日月の前を何度も雲が横切った。
「宍戸さん」
肩にもたれかかる宍戸の頭に頬をすり寄せて、鳳は囁いた。
「謝らなければならないのは、俺の方なんです」
「おまえが?」
「えぇ」
「どうして」
「嘘をついていたから」
宍戸がゆっくりと顔を上げる。
瞳を合わせれば、鳳は少し悲しそうに宍戸を見つめていた。
「嘘?」
「はい。宍戸さん、俺ね、記憶を失ってなんかいないんです」
「え?」
宍戸の瞳が困惑に揺れる。
鳳は宍戸の手を取って、静かに続けた。
「覚えているんです。ここで宍戸さんに抱きしめてもらったこと。だからこんな体になったとき、まっ先にここに来た。宍戸さんに会いたかったから」
宍戸にとって、思いもよらないことだった。
今まで一度たりとも、鳳が記憶のある素振りを見せたことはなかったのだ。
「なんで、なにも覚えていないなんて、嘘を」
「だって、幽霊のふりをしないとここに居られないと思ったから」
「ふり?」
「幽霊は記憶がないままでいなくちゃいけない。記憶のある幽霊なんていませんからね。みんな成仏してしまいますから。だから宍戸さんのそばに居続けるためには、記憶のない幽霊でいなくちゃいけない」
鳳は穏やかな声で、混乱する宍戸にゆっくりと説明した。
まっすぐな鳳の瞳に見つめられる。
その奥にある真意を探ろうと、宍戸は必死に頭を回転させた。
「わ、わかった。いや、わかんねぇけど、おまえの理屈はわかった。でも、だったら幽霊じゃないおまえは何者なんだ?」
幽霊と同じように冷たく、血も味気なく、超常現象を引き起こし、何度噛みついても平気でいる。
人間でもなく幽霊でもないのなら、一体鳳は何だというのか。
鳳は、険しく寄せられた宍戸の眉間に唇で触れた。
触れられた唇の冷たさは心地よく、宍戸は落ち着きを取り戻そうと深く息を吐く。
唇を離した鳳の瞳をのぞき込み、宍戸はつとめて冷静に口を開いた。
「教えてくれ。おまえは、なんだ」
宍戸は今まで隠してきた秘密を打ち明けた。
次は鳳の番だ。
屋根の上に立ち上がった鳳に手招きされるまま、二人は夜闇に飛んだ。
つづく