12/25

0:00 SIDE鳳

「あ、宍戸さんこんばんは! メリークリスマスです!」
「おー、本当に0時きっかりに電話してきたな」
「だって、約束しましたから」
スマートフォンの向こうで、宍戸さんは少し呆れたように言った。
昨日、日付が変わったら一番にメリークリスマスを言いますねと宣言していた俺は、有言実行、0時になった瞬間に宍戸さんに電話した。呼び出し音はワンコールで途切れた。だから、宍戸さんも俺からの着信を待っていてくれたんじゃないかな。そうだったら嬉しい。
「今年も宍戸さんとクリスマスを過ごせるなんて、今夜が楽しみで楽しみで」
「はは、そんなに楽しみか」
「もちろん!」
もう一度、メリークリスマスと言ったら、笑い声混じりのメリークリスマスが返ってきた。
俺たちが恋人としてお付き合いをするようになってから、もう四年が経つ。
お互い大学の授業やアルバイトでせわしない毎日でも、記念日や特別なイベントの日は予定を合わせて一緒に過ごすようにしてきた。
宍戸さんは口では「いちいち大ごとにして祝うようなモンでもないだろ」なんて言うけれど、誕生日やお付き合い記念日、バレンタインやホワイトデーだって、本当はちゃんと楽しんでいるんだって、俺は知っている。
そして、今日は年に一度のクリスマス。
今夜は宍戸さんの家で二人きりのクリスマスパーティをすることになっていて、俺は何ヶ月もこの日を楽しみに生きてきた。
「俺はケーキ担当ですからね。おいしいケーキ期待しておいてくださいね!」
「おう。おまえも期待しとけよ。今年はすげーヤツ用意したから」
「えっ! なんだろう……わくわくしますね!」
得意げな宍戸さんの声が、俺をますます喜ばせた。
俺たちのクリスマスは、それぞれ役割分担が決まっている。
これにはちょっとしたいきさつがある。
付き合い始めて一年目のクリスマス。俺のたっての希望で予約した雰囲気のいいレストランは、堅苦しいと宍戸さんに不評だった。
そこで、次の年からは宍戸さんの部屋でのんびり過ごすことにした。でも、ただ過ごすのはつまらないと宍戸さんが言い出して、お互いにごちそうを持ち寄ってパーティをしてみようということになったのだ。
これがなかなかに盛り上がった。
二人とも当日まで何を用意するかを内緒にしていたから、宍戸さんちのテーブルの上には、和洋折衷、統一感のないごちそうがところ狭しと並んだ。
スマートでも洗練されてもいないクリスマスディナーにひとしきり笑いあって、これがおいしい、こっちもおいしい、なんて言いながらわいわい過ごす。
非日常感はまったくないけれど、それでも俺にとっては宍戸さんとの特別な時間であることに変わりはなくて、頬が緩みっぱなしになってだらしない顔してるってからかわれることも、心から楽しいと感じられるひとときだった。
そして、今年は俺がケーキを持って行く係に任命され、宍戸さんはディナーを用意する係になった。
もちろん、お互いにどんなものを用意するかは秘密だ。
「じゃあ夕方に駅前で」
「ツリーを見て、それから宍戸さんちに直行ですね」
「ちゃんと着込んで来いよ。おまえすぐ風邪ひくから」
「もう、わかってますってば」
あまり夜更かししないようにと、早めに通話を終了した。
起きたら予約していたケーキを引き取りにいかなくちゃ。
甘さがひかえめで、フルーツが大きくて、毎年予約で完売してしまう有名店のショートケーキ。もちろんホールで。
宍戸さん、喜んでくれるかな。
「楽しみだなぁ~」
数時間後には宍戸さんに会えるし、綺麗なクリスマスツリーを二人で見て、おいしいごちそうを食べて、そのあとは……。
ベッドにもぐりこんでも、子どもの頃のようにわくわくして眠れない。
クリスマスって、どうしてこんなに特別なんだろう。
窓の外からサンタクロースの乗ったそりの鈴の音が聞こえてきそうで、まぶたを閉じてそっと耳を澄ませた。

7:00 SIDE宍戸

一つ目の目覚まし音で目が覚めるなんていつぶりだろう。
朝が苦手で、目覚まし時計は必ず二つセットしないと起きられないというのに、珍しいこともあるものだ。
体を起こして伸びをする。
冷えた部屋の空気を吸い込むと頭が冴えてきた。
「あ、そっか。今日は長太郎に会うんだ」
声に出したら、なんだか急にむずがゆくなってきた。
そうだ、似てるんだ。
子どもの頃、クリスマスの朝を向かえて、枕元のプレゼントを見つけたときのわくわくしたあの気持ち。
いつもと同じだけれど少しだけ特別な一日の始まりに、浮き足立つのを止められないあの気持ち。
「なんだよ、だからかよ」
今日を楽しみにしていたのは長太郎だけじゃない。
なにせ目覚まし一発で起きられてしまったくらいだ。
包み隠さずに言ってしまえば、俺も今日が楽しみで仕方なかった。
「なんたって今年のメシは取り寄せだからな~」
今夜は俺んちで長太郎とクリスマスパーティをする事になっている。
あいつがケーキを持ってくると言うから、晩飯の担当は俺になった。
去年は互いに好きなものを持ち寄りすぎて、ちぐはぐなクリスマスディナーになったっけ。
ローストチキンにローストビーフ。この時点でローストかぶり。
加えて、シチューに寿司というなんとも食い合わせの悪いラインナップ。
けれどあいつと二人で食事を囲むことが楽しくて、次もまた持ち寄ってパーティをしようなんてことをちょうど一年前の今日、約束したのだ。
ベッドを出て、冷たいフローリングを進む。
ワンルームのキッチンは狭く、一人暮らし用の冷蔵庫が壁との間にぎゅっと押し込められている。
冷凍室を開けると、冷気に覆われて昨日届いたブツが鎮座していた。
「長太郎んちではよく食ってんのかもしんねぇけど」
今年、俺は去年を上回る驚きのクリスマスを長太郎と過ごしてみたくて、かなりフンパツした。
大学生には敷居の高い「お取り寄せ」ってやつで、カニを手に入れたのだ。
「思ったよりデカかったな」
見た目が強そうだから選んだタラバガニは四本足ごとにまとめて真空パックされていて、想像していたよりもずっと大きかった。
今夜はこれでカニ鍋をしようと考えている。
「土鍋に入っかな。まぁ、なんとかなるだろ」
なにか豪勢なものを用意したくて取り寄せてみたはいいものの、料理にはまったく自信がない。
けれど、鍋ならよっぽどのことがない限り失敗したりしないだろうし、なによりクリスマスっぽい小洒落たテーブルセッティングも必要ない。
それでいて特別感があって、一石二鳥どころか一石三鳥だ。
「さて、と」
冷凍庫を閉めて、伸びをする。
午前中のうちに部屋の掃除をしてしまわねぇと。
瞬間、二つ目の目覚まし時計から、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。
そういえば、今朝は一つ目で起きられたから、もう一つの目覚ましをオフにし忘れていた。
スイッチを切るためにベッドに乗り上げたら、まだシーツは温いままだった。
掃除ついでに、これも洗濯しておこうか。
いや、どうせ明日の朝また洗う羽目になる。
「……んんっ」
ハッとして咳払いした。
今夜、ここであいつとするコトを無意識のうちに想像している自分に気恥ずかしさを覚えて、丸まっている毛布と掛け布団を乱暴に広げた。

12:00 SIDE鳳

第一声から、いやな予感がしたんだ。正確に言うと、言葉を発する前の一呼吸から。
宍戸さんは電話の向こうで短く息を吸って、止めて、「わりぃ」と言った。
「悪い、ってなに、が」
「バイト、呼び出されちまった。シフト入ってたやつが熱出して、病院行ったらインフルエンザだと」
「そんな」
「他に入れるやついないらしくて、しかも今日は」
「クリスマス、ですもんね」
宍戸さんは居酒屋でアルバイトをしている。大学部に進学してすぐに始めたからもうすぐ三年になる。アルバイトは真っ先に駆り出されるこの時期に、これまで毎年二人でクリスマスを過ごせたのは宍戸さんのおかげだった。宍戸さんは十二月二十五日の休みをもぎとるために、シフトを入れまくって馬車馬のように働いた。ただでさえ忘年会シーズンまっただ中の超繁忙期だというのに、それでも宍戸さんは俺とこの日を過ごすためにがんばってくれた。
今年も同様、宍戸さんはみっちり働いて、きっちり休日を手に入れたはずだった。
なかなか会えない日々が続いてもクリスマスのためだからと自分に言い聞かせて、その分今日は思いっきり宍戸さんと楽しむつもりだったのに、サンタクロースはなんて残酷なプレゼントを空から落としていったんだろう。
いい子にして待っていたら素敵なプレゼントをくれるんじゃなかったのか。宍戸さんは困っている人を無碍に出来ないいい人なのに、こんなのあんまりじゃないか。
「本当、ごめん」
「し、仕方ないですよ。インフルエンザは、つらいし……」
病気の人に文句を言いたくはないけれど、どうして予防注射を打っておいてくれなかったんだ。
俺はちゃんと打った。去年、高熱を出してひどい目にあって、そして俺を心配して見舞いに来てくれた宍戸さんに感染してしまったから。
「早めにあがらせてくれるって店長はいってたけど、クリスマスで混むだろうし、何時になるかわかんねぇから……」
「はい……」
宍戸さんはもう一度、ごめん、と言った。
居酒屋で働いたことのない俺でも、今日という日が飲食店にとってどれほどの書き入れ時なのかは想像に易い。
おそらく終電までノンストップだ。
宍戸さんに会えるなら、いつだってどこにだって馳せ参じるつもりでいるけれど、疲れてくたくたになった宍戸さんに、真夜中でもいいから会えませんかなんて言いたくない。
「大丈夫ですよ! パーティはまた今度しましょう!」
何度も謝る宍戸さんに罪悪感だけは抱いてほしくなくて、出来るだけ明るい声を出した。
でもそんな俺の思惑も、心の底から残念に思っている本音も、きっと宍戸さんにはバレている。
そして宍戸さんも、俺に気を遣わせたことを情けなく感じて、かつ、それが俺にバレていることを、きっとわかっている。
「じゃあ明日やろうぜ。冷凍してあるけど、早く食っちまわねぇとだし」
「明日、いいですね! ん? 冷凍?」
「あ」
「ふふ、内緒のディナーですか?」
「そんなとこ」
二人クリスマスじゃなくて二人忘年会だな、と宍戸さんはおどけてみせた。
だったら出し物も考えなきゃですねぇ、なんて冗談でノってみたりして、まるでお互いを慰めあうみたいに笑いあった。
「じゃあ、明日な」
「はい、また明日」
通話の切れたスマートフォンをソファーに投げ出して、窓の外を見る。
雪なんて降りそうにない晴天だ。
電話が来る前までは、キラキラ、シャラシャラ、妖精の粉みたいな細かい粒子で光り輝いて見えたのに、今はもうただ薄い青が塗り広げられているだけだった。
「ケーキって、まだキャンセル出来るのかな」
店に連絡するために、放り出したスマホを拾い上げる。財布にいれていた予約伝票を確認して、端の方に書かれている電話番号にかけた。
もしもキャンセルが出来なかったら、引き取りにいくしかないなぁ。
賞味期限は本日中だし、そのときは一人でやけ食いでもしようじゃないか。
真っ赤なイチゴめ。綺麗に飾り付けられた生クリームめ。
大口開けて齧りついてやる。

16:00 SIDE宍戸

冬の夕暮れは短い。
だいだい色があっという間に紅く染まり、そして空を攪拌するように濃い紫と混じり合う。
来たる暗闇に対抗するかのように街は輝きはじめ、バイト先に向かう道はイルミネーションに彩られた。
「さっむ」
体当たりするような冷たいビル風に吹かれ、羽織ったダウンジャケットの前ジッパーを引き上げる。
雲一つなく薄ら暗い空が、街と俺の熱を吸い上げていった。

昼の電話で、長太郎は約束を反故にした俺のことを責めなかった。
仕方ないと割り切って、今夜会えないことにも文句を言わず、拗ねもしなかった。
喧嘩になってもおかしくないと思っていた。
もしもそうなったとしても、悪いのは俺なのだから反論しないで謝り倒そうと腹を決めて電話したのに、あいつはひとかけらも怒気を含んだ声を聞かせはしなかった。
一旦ほっとしたけれど、また明日と通話を切ったあと、なんだかいやに部屋の空気が重くなった。
俺にのしかかったのは、あいつを優先してやれなかった罪悪感ではなかった。
以前に比べて随分聞き分けがよくなった長太郎への、自分勝手な寂しさだった。
つきあい始めたばかりの頃の長太郎だったら、今日みたいに会う約束をドタキャンした場合、わかりましたと口で言っても何一つ理解も納得もしていなくてだんまりを決め込んだり、宍戸さんには俺より大事なものがたくさんありますもんね、なんて瞳の奥を凍らせたままの笑顔で嫌味を言って諍いのゴングを鳴らしたりした。
「らしくねぇんだよ」
今日を心底楽しみにしていたくせに、あっさり俺を許しやがって。
もっと駄々をこねて、俺を責めて、わがままを言って困らせてくれたっていいのに。
たとえば、約束したのにどうして行っちゃうんですか、今年のクリスマスは今日しかないんですよ、ずっと楽しみにしていたのに酷いです、なんて棘の生えた言葉の一つでも俺に刺してきたら、なんでもしてやるから機嫌直せよって、俺が長太郎に生やさせてしまった棘を一本一本抜いて、傷口を撫でて癒して、そんな風にあいつを甘やかしてやれたのに。
いつからか、長太郎は大人になる速度を早めだしたような気がする。
どんどんしっかりしていくあいつを頼もしく思う反面、まだ俺の後ろをついてまわる幼さを脱ぎ捨ててしまわないで欲しいと思ってしまうのは、エゴか、感傷か。
長太郎の成長を喜べない俺の方がよっぽど子どもなんだろう。
でも、なんというか、あまり一人で立とうとしないでくれ。
俺たちは、今はまだ、寄りかかり合っているくらいがちょうどいいんじゃないかと思うんだ。
いつの日か、二人が二人ともまっすぐ立ててしまうときが、きっと来る。
そのときも、俺はまだおまえの隣にいたい。
おまえもそうだろう?
だからもう少しだけ、大人になるのはゆっくりでもいいと思わないか。

イルミネーションと雑味ある繁華街の光がそれぞれの存在を主張して、道行く人々に降り注いでいる。
クリスマスソングで浮き足立つ雑踏にまぎれて、ポケットに手を突っ込んだまま歩みを早めた。
アスファルトは空と同じ鈍色をしていた。

21:00 SIDE鳳

すっかり夜になって、たまらず部屋を飛び出した。
一人でいると、やるせなさがどんどんのしかかってきて雪だるまみたいに身動きが取れなくなりそうだったから。
実のところ、散々自暴自棄になったあとだった。
ごみ箱の中には、キャンセルできなかったケーキの箱がひしゃげた形で詰め込まれている。
肝心の中身はまるっと俺の胃の中だ。
二人で食べるつもりだったから小さめのホールケーキだったけれど、やけ食いするには量が多かった。
生クリームもスポンジも、あんなに軽やかでふんわりしているのに、どうして胃におさめるとずっしり重くなるんだろう。
脳みそが「もういらない」って信号をちゃんと送ってきていたのに、いじけた根性が邪魔をして素直に言うことを聞こうとしてくれなくて、甘ったるさを無理矢理苦いコーヒーで流し込み続けた。
気落ちした心に追い打ちをかけることでしか発散できなかった自分が情けない。
これくらいのこと、ちゃんと平気にならなきゃいけないのに。
本当は、宍戸さんから電話が来たときに言いたいことがたくさんあった。
俺との約束の方が大事じゃないんですか。
宍戸さんがやらなきゃいけないようなことなんですか。
よりによってどうして今日なんですか。
でもそんなこと、言えるわけがなかった。
普段は使わない電車を乗り継いで、人の波に流されながら改札を出る。
しみるような冷たい空気がほっぺたに突き刺さる。
平日の夜にしては足取りの軽い人々に紛れて夜道を進めば、道の先にぼぅっと明るい空間が見えてきた。
「まだムカムカする……」
胸のあたりをさすりながら見上げた先には、赤や緑の煌びやかなイルミネーションと、アーチに筆記体で書かれた『クリスマスマーケット』の文字。
辿り着いたのは、今夜宍戸さんと来るはずだった公園だ。
縁日の屋台というよりは、小さなログハウスのような店が並んでいて、それぞれクリスマスの装飾が施されている。
明るい曲長の讃美歌が流れ、まるで日本ではないみたいな空間だ。
売られているものも、あまり目にしたことのない肉料理やホットワインだったりスノードームなんかもあって、一歩踏み入れただけでクリスマスの世界に迷い込んでしまったみたいな不思議な感覚がした。
見渡してみれば、ごった返す人たちはみんな、恋人や家族と楽しそうに笑い合っている。
俺だけが、クリスマスの魔法にかかり損ねてしまった。
出店が連なる道を抜けると、ぽっかりひらけた広場に出る。
照明が落とされた暗闇の真ん中に、ひときわ輝かしい光をまとって、大きなツリーが聳え立っていた。
たくさんのオーナメントで飾り付けられたもみの木の周りでは、写真を撮ろうとする人たちがかわるがわるカメラやスマホを向けている。
俺は少し離れたところからツリーを眺めることにした。
冷たそうなベンチに腰掛けて、ここにいない宍戸さんを想った。

宍戸さんは俺より先に大人になる。
大学を卒業して、社会に出て、そしていつの間にかこんな風に会いたいときに会えないことが普通になる。
一年後にはおまえも同じ社会人だろって、宍戸さんは言うかもしれないけれど、俺たちを隔て続ける一年の差がどんなに大きくて深いものであるかを、きっと俺しか知らない。
その差を埋めるために、背伸びして、大人びたふりをして、精一杯宍戸さんと目線を合わせようとしてみても、結局こうやって未熟なままの自分を持て余して彷徨うしかないんだ。
「だめだなぁ」
しっかりしなきゃ。
ちゃんと自分の足で立って、宍戸さんに置いて行かれないように、前を向いていなければ。
そうしないと、きっと、あっという間に宍戸さんは俺を振り切って行ってしまう。
どこまでもついていくって決めたんだから、俺も宍戸さんの速度に追いつけるようにならないと。

コートのポケットからスマホを取り出して、ツリーの写真を一枚撮った。
画面の中で暗闇に浮かぶツリーは、電飾がぼやけて、まるで雪が積もったみたいだ。
写真を撮ったときの手癖みたいなもので、無意識のうちに宍戸さんにメールを打っていた。
『きれいですよ』
とタイトルをつけて、送信して、そして後悔した。
これじゃあ、宍戸さんが来てくれなかったから一人でツリー見てるんですよって当てつけているみたいじゃないか。
「あ~もう……」
どうしてうまくいかないんだろう。
願いはひとつ。宍戸さんに会いたい。それだけなのに。

21:?? SIDE宍戸

なんとかなりそうだから早く上がってくれていいと言われ、着替えて、店を出て、駅に向かう途中で長太郎からメールが来ていたことに気づいて、開いた瞬間、駆けだしていた。
クリスマスツリーの写真と、『きれいですよ』の文字。
それだけで十分だった。
向かう先ははっきりしている。今夜、長太郎と行くはずだったあの公園だ。
なんだよ、あいつ一人で行ったのかよ。
こんな寒い夜に一人きりで居ようとするなよ。
会えないと電話したときの長太郎の声が、頭の中でぐるぐる渦巻いた。
「また明日、じゃねぇっつーの」
チッと舌打ちして改札を通り抜ける。ちょうど到着した電車に飛び乗って、上がった息を整えながらジーンズのポケットから取り出したスマホで手短に返事を送信した。
『待ってろ』
写真が送られてきてから数十分が過ぎている。
それでも、長太郎がまだあの公園にいるという確信があった。
白い息を吐いて、鼻の頭を赤くして、寄る辺なく不安そうな顔をしてツリーを見上げている気がした。
約束をドタキャンしたあげく、寒空の下でまだあいつを待たせている。
我慢をさせて、寂しい思いをさせて、隣にいてやれなくてごめん。
怒ってくれていい。今日のことを許してくれなくてもいい。
ただ今すぐ、おまえに、会いたい。

22:00 SIDE鳳

夜中まで返信は来ないものだと思っていたのに、ツリーと楽しそうな人たちをぼーっと眺めていたら、突然スマホが震えて短い宍戸さんの言葉が届いた。
その文字をとらえた瞬間、目の奥が熱くなって、たまらずぎゅっとまぶたを閉じた。
吐いた息が震えてしまうから、下唇を噛み締める。
返信には『待ってろ』と書いてあった。
俺が送った写真ひとつで、宍戸さんには俺がどこで何をしているのかお見通しだったわけだ。
会いたいとも、来てくださいとも伝えていないのに、きっとそんな俺の本音も全部わかった上で『待ってろ』と宍戸さんは言ってくれた。
「俺、待ってていいんだ」
宍戸さんが俺に会うためにここに向かって来てくれている。
冷たかっただけの冬の空気が、なぜか清らかに澄んで感じられた。
遠く聞こえる人々の声も、クリスマスソングと鈴のBGMも、軽やかにこの夜を祝福している。
しばらくまぶたを閉じたまま、朗らかな静寂に身を預けることにした。
宍戸さんはたったの一言で、いとも簡単に俺にクリスマスの魔法をかけたのだ。

「長太郎!」
宍戸さんの声がして、弾かれるように立ち上がった。
俺の目の前まで走ってきた宍戸さんは、息を切らしながら笑って見せた。
「はぁっ、わりぃ、待たせたな」
「全然……っ」
途端に喉が詰まって、言葉がでなくなった。
ときどき咳き込んで息を整える宍戸さんが、そんな俺を見上げて困ったように眉を下げて微笑んだ。
「待っててくれてよかった」
「ごめんなさい。あんなメール……まさか、来てくれるなんて、思わなくて」
宍戸さんに手を握られる。
少し汗ばんだ手のひらが冬に似つかわしくなくて、だけど宍戸さんの熱い体温がじんわり俺の手を温めてくれると、雪がとけだすように目の前が滲みだした。
せっかく来てくれた宍戸さんの前で、涙を零してしまいたくない。涙腺が緩んでしまうのを誤魔化そうとまばたきを繰り返していたら、宍戸さんの親指にそっと目元を撫でられた。
そしてまた困ったように頬を緩めて、宍戸さんは俺の手を握ったままツリーを振り返った。
「本当に、綺麗だな」
宍戸さんに、ツリーの光が降り注ぐ。
輪郭をやわらかく照らされて、宍戸さんはもう一度俺を見上げた。
「長太郎と見られてよかった」
安堵したような笑顔を見たら、堪えきれなかった涙がまつ毛にたまって、ほろり、決壊した。
「泣くなよ」
「すみませ……っ」
「ったく」
座れと促されて、ベンチに腰掛ける。
隣に宍戸さんが座るのかと思ったら、前に立ったまま、まっすぐ俺を見下ろしていた。
「宍戸さん?」
見上げた宍戸さんはその背にツリーの光を受けていて、そのせいで顔が暗くてよく見えない。
目を凝らして宍戸さんの瞳を探していたら、熱のこもった手のひらが俺の頬を包んだ。
指先に涙をぬぐわれて、まぶたを閉じる。
まつげを撫でる優しい手つきを感じていたら、ふと、流れていた音楽が鳴りやんだ。
うっすら目を開けると辺りが暗くなっている。ツリーの消灯時間に合わせて音楽も止まったらしかった。
次の瞬間、唇に何かが触れた。
宍戸さんの唇だってすぐにわかった。
あたたかくて、やわらかくて、涙もひっこんでしまう優しいキス。
唇同士をそっとすり寄せて、あまやかに食まれて掴まえられる。
遠慮がちにじゃれつくような触れ合いを繰り返して、宍戸さんはまた俺のほっぺたを手のひらですくうように包んで唇を離した。
「寒かったろ。こんなに冷たくなって」
「宍戸さんがあったかいから、もう平気です」
イベント終了の時刻なのか華やかなイルミネーションはみんな消えてしまって、代わりに外灯がぽつぽつと灯りはじめた。それを合図に、公園からはどんどん人が去って行く。
まるで一瞬にして魔法が解けてしまったようだ。
無性にもの寂しさに襲われて、たまらず立ち上がって宍戸さんを抱きしめた。
「会いたかった、です」
ぎゅーっと、苦しくないくらいに力を込めると腕の中の宍戸さんも俺を抱きしめ返してくれて、宍戸さんの首すじに顔をうずめたら、冬の無機質な匂いに混じって俺の知っている宍戸さんの匂いがした。
「俺も、おまえに会いたかったよ」
一体何日ぶりだろう。
ゴワつくコート越しでも、宍戸さんの体の温かさが伝わってくる。
「クリスマスなんて、本当はどうでもいいんです」
ケーキも、ごちそうも、プレゼントも、なにもなくたっていい。
「もっと、ずっと、宍戸さんと一緒にいられれば、それだけで」
特別なことがなくたって、なんでもない毎日を宍戸さんと過ごしていきたい。
それだけが、俺の願いだった。
「そうだな」
宍戸さんが胸の辺りでつぶやく。
「おまえが大人になっても同じ気持ちだったら、きっと、俺たちはずっと一緒にいられるんじゃねぇかな」
「そんなの!」
思わず出してしまった大声が、がらんとした公園に響いた。
「そんなの、これからも変わらないに決まってるじゃないですか」
「そうか?」
「はい」
宍戸さんの隣にいたいという気持ちだけは信じていてほしい。
未来のことなんて不確かかもしれないけれど、信じていないと願いは叶わないはずだから。
もぞもぞ腕の中で動いた宍戸さんは、俺の胸のあたりにひたいを擦らせた。
「おまえは、おまえのままでいいんだからな」
宍戸さんが何か言った気がした。
微かにしか聞き取れなかった声の行方を探りたかったけれど、顔を上げた宍戸さんが「帰るか」といたずらっぽく笑って腕を緩めたからうやむやになってしまった。
「帰って、クリスマスのやり直しだ」
「でも、もうすぐクリスマス終わっちゃいますよ」
「じゃあ忘年会」
「こんな真夜中に?」
「なんでもいいんだよ。おまえがいれば」
差し出された右手を握ったら、指を絡めたまま宍戸さんの上着のポケットに引っ張りこまれた。
「……あったかい」
「だろ」
冷えた手のひらがゆっくり温められていく。
寒さで鼻の頭が赤くなってきた宍戸さんと目が合って、自然と頬が緩んだ。
一時間近く座っていたベンチに別れを告げ、ツリーを横切って、片付け作業が始まった出店の間を通り抜ける。
駅に向かう道のりはまだ、終わりかけのクリスマスカラーに彩られていた。
「あっ」
「どうした?」
「俺、ケーキ食べちゃったんだ」
「食べちゃったって、え? 全部か?」
「全部……宍戸さんに会えないと思ってたから、その、ヤケ食いを……」
「おまえなぁ」
宍戸さんが呆れた瞳で俺を見上げた。
「じゃあ、来年はもっと美味いケーキ用意しろよ?」
「らい、ねん」
「来年も一緒に祝うんだろ。クリスマス」
「っ、はい!」
いい返事、と宍戸さんは楽しそうに笑った。
遠くで鈴の音が聞こえた気がした。