見つめられる長太郎の話

宍戸さんと一緒に暮らし始めて一か月が経った。お互いの生活の癖みたいなものが少しずつ見え始め譲ったり譲られたりしながら過ごす日々が楽しくて、だけど、一つだけ悩んでいることがある。それは最近、宍戸さんの視線が俺を落ち着かなくさせることだ。ご飯を食べているときやシャワーのあとや眠る前、宍戸さんは俺の体のどこかをじーっと見つめてくる。俺が気づいていないと思っているみたいだけれど、どんどんあからさまになってくる眼差しに反応したほうがいいのか、それともこのまま気づかないふりをしていたほうがいいのか、どうするのが正解なのかわからなくて困っている。普段こんな風に見つめたりするのはむしろ俺の方であって、視線に気づいた宍戸さんにひと言も喋っていないのにうるさいと言われたことは一度や二度なんてもんじゃない。それなのにどうしたんだろう。俺の体が気になるのかな。やましい意味じゃなくて恋人に対する興味みたいなものだと思っているけれど、それにしたって熱烈すぎるから、晩御飯を食べ終わったあと、食器を洗っている宍戸さんに意を決して聞いてみることにした。
「あのぉ、俺になにかついてますか?」
「へっ?」
「最近、宍戸さんに見つめられることが多くなったな~なんて」
「そうだっけ?」
「え~? あんなに俺のこと見ていたじゃないですか」
「そ、そんなわけないだろ。…確かにちょっとは見ていたかもしれねぇけど」
「ちょっとどころじゃないですよぉ。知らないふりしてようかと思ったけど、気になっちゃって聞いていいものか悩んだんですから」
「俺、そんなにおまえのこと見てた?」
「見てました」
「どんくらい?」
「じーって。ごはんのときは俺の口元ばっかり見るから食べにくいし、お風呂上りには背中とかおなかとか、なんかもう全部。寝る前は俺の首のあたり見てましたよね。くすぐったくて落ち着かないんですもん。見られすぎてちょっと慣れてきちゃいました」
「まじで?」
「あ、でもいやではないですよ?」
「そうなのか?」
「当り前じゃないですか。宍戸さんだし」
「…うーん」
洗い終えた宍戸さんと入れ替わりに、テーブルを拭いたクロスを洗いにシンクに立った。ザバザバと流れる水で揉み洗いをしていると、腕のあたりに視線を感じる。
「ほら、また見てる」
「うおっ、ほんとだ」
ぱっと顔を上げて飾り気のない表情を向けられると、気を許されているって感じがしていちいち嬉しくなってしまう。
「ね? 言ったとおりでしょ」
「完全に無意識だった」
「そんなに俺に触りたいんですか?」
「え?」
「あれ? だって、触りたいな~って思うとついつい見つめちゃいません?」
少なくとも俺はそうだったから、てっきり宍戸さんも俺と同じように触ったり抱きついたりしたいんだと思ったんだけど違うのかな。
絞ったクロスをシンクの上のタオル掛けに干して振り向くと、宍戸さんがぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
「どうかしました?」
「は? 俺が? おまえに? なんで?」
「なんでって…俺のこと、好きだから?」
「そんなわけ…っ! …あるけど、だからって別に見てただけだし、触りたいだなんてそんな…変なこと言うなよ」
「あれ~? もしかして…」
「なんだよ」
「…いや、やっぱりなんでもないです」
「なんだよ、言えよ」
「えぇ~? 宍戸さん怒りそうだからなぁ」
「怒んないから言えって。気になる」
「…じゃあ言いますけど…本当に怒らないでくださいよ?」
「おぅ」
「もしかして、ふふ、宍戸さん…照れてたりします?」
腕を組んで眉をしかめていた宍戸さんのほっぺたがみるみるうちに色付いていく。それがもうかわいくって「当たりですか?」と顔を覗き込んで聞いたら、耳まで真っ赤になっているのを隠すようにそっぽを向かれてしまった。これって図星ってことじゃないのかな。宍戸さん自身でも気付いていなかった本音を俺に言い当てられたから恥ずかしがってるって、自惚れちゃってもいいかな。ほっぺたがむずむずして仕方ない。抱きしめたくなって、拗ねたように唇を尖らせてこちらを向いてくれない宍戸さんに手を伸ばそうとした。
「あれっ」
ふと、抱きしめる行為が久しぶりだってことに気がつく。そういえば最後に宍戸さんと肌で触れ合ったのはいつだったっけ。というかここに越してきて何回体を重ねた? 確か初めの一週間に三回したっきり。引っ越しの片づけと新生活のバタバタで、ここ三週間ほどはそういう雰囲気にすらなっていなくて…
「ああ!」
突然叫びだした俺に驚いて宍戸さんは肩を震わせた。
そうか。わかった。なんてことだ。
宍戸さんとそういうことをするときはいつも俺から誘ってばかりで、そして宍戸さんはあまり拒むことなく受け入れてくれていたから、俺たちの間で「流れ」というものが出来上がってしまっていた。つまり俺からそういう雰囲気を作らないとその先に進まない。だから宍戸さんは、誘い方を知らないんだ。どうして考えが及ばなかったんだろう。宍戸さんがずーっと俺のことを見ていたのは無意識の内に「したい」って合図を送っていてくれたからなんじゃないのか。だって俺から言うのが、触れるのが、抱きしめるのが、宍戸さんにとってのセックスの始まりだったから。
「びっくりした…なんだ? どうした?」
「宍戸さん、俺が全部悪いです」
「はぁ?」
わけがわからないと首を傾げる宍戸さんの両肩をわし掴んだ。話さないといけないことが沢山あるけれどまずは、
「抱きしめていいですか」
「へ?」
「俺のことも抱きしめ返してくれませんか」
「お、おう」
背中に回された腕の温かさを感じながら、俺は今から宍戸さんととびっきりな時間を過ごすために考えを巡らせていた。

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