オオカミなんです、俺。
青空の屋上で、弁当の肉団子に箸を突き刺しながら長太郎は言った。
横目で見ながら口の中のサンドイッチを飲み込んで、パックの牛乳を啜って、流れの遅い雲を見あげる。
「なんだそれ。昨日のこと言ってんのか」
「え? あ、いや、えっと」
口ごもる長太郎を横目に、もう一口牛乳を啜った。
昨日、俺は長太郎とセックスをした。
初めてだった。誰かの前で、あちこち触られるために裸になるのも、シーツの上で大して動くわけでもないのに汗だくになるのも、長太郎の、あんな瞳を見つめるのも。
切羽詰まって、縋るようで、なのに何かを譲らない意思だけは伝わってきて、情けない顔だと茶化すには俺を求めすぎていて、軽口なんて叩けなかった。
二人とも何もかもが稚拙すぎて、俺は長太郎を受け入れきれなかったし、長太郎は俺を無理やり拓こうとはしなかった。
結局はただの抜き合いっこをしただけだった。けれど、あれはセックスだ。まぎれもなく、俺と長太郎は体を繋げた。たとえ先っぽだけしか入らなかったとしても、俺は長太郎にそれを許したし、長太郎もそのつもりで俺に挿れようとしたのだから、あれは誰がなんと言おうとれっきとしたセックスだ。
「男は狼ってやつか? 狼にしては随分甘っちょろいんじゃねぇの? 襲いきれてねぇじゃん」
「襲うだなんて、そんなこと冗談でも言わないでくださいよ。……もしかして、昨日のこと怒ってます?」
「なんで怒る必要があんだよ。おまえが変なこと言い出すからだろ」
残りのサンドイッチを頬張る。今日はチーズサンドが売切れていて、レタスとハムのミックスサンドしか残っていなかった。久しぶりに食べたけれど、たまにはこっちも悪くない。
「すみません、忘れてください」
「ん。ほら、さっさと食え。食い終わったら打ちにいくぞ」
昼休みは貴重な練習時間だ。
弁当の残りを掻き込む長太郎を見やりながら、音を立てて牛乳を啜った。

部活の後、長太郎の家に行った。
明日は週末、部活もない。泊まりたいと言ったのか泊まってくださいと言われたのか、どちらが先だったかは今更どうでもいい。離れがたかっただけだ。昨日触れた肌の熱を忘れられなかった。きっと長太郎もそうだ。
だから長太郎の家族が寝静まった頃を見計らって、二人で裸になってベッドに潜り込んだ。
照明を消すと、カーテンをきっちり締めた部屋は真っ暗で、長太郎がどんな表情をしているのかわからなくなる。
けれど肌は昨日と同じように熱かった。抱きしめ合えば、自分のものではない胸の鼓動に掻き立てられるように、一気に体の芯が燃え上がる。
俺たちはまた、扱きあってお互いの欲を吐き出すだけのセックスをした。繋がろうと思えばできたかもしれない。けれど長太郎はそれを求めなかった。昨日のことで懲りたのかと少し心配になったがそうではないらしかった。暗闇の中で俺の肌を遠慮なくまさぐる手は性急で、明らかに欲情していた。
気持ちいいかどうかなんて、わかりきったことを聞くもんじゃない。ねっとりとした舌の味も、汗まみれで覆いかぶさってくる重みも、首筋から漂う濃い香りも、全部熱くてたまらなかった。
「おまえとするのが癖になったら、やべーな」
「そんなに気持ちいいですか?」
「一人ですんのと同じことしてるだけなのに、なんでこんなに」
自慰の延長、それだけのことなのに、家で一人でするのと、長太郎にしてもらうのとでは、格段に気持ちの良さが違う。
「それは、宍戸さんが俺のことを好きだからじゃないですか?」
内緒話をするように囁いた長太郎が、もぞもぞと体をずらして抱きついてきた。
流れる汗はタオルで拭きとれても、しっとり湿る肌は吸いつくように俺をとらえる。
「俺も、宍戸さんのことが好き」
「だから、気持ちいい?」
「うん」
二人きりの時にだけときどき砕けた口調で甘えてくるのは、後輩ではなく恋人であると主張したいからなんだろうな。そういう生意気ないじらしさを隠さないところが、長太郎の厄介で可愛いところだ。
「挿れてぇって、思わねぇの?」
「そりゃあ。でも、俺の最終目標は、もう達成されているので」
「なんだそれ」
「宍戸さんが、誰にも見せたことのない姿を俺だけが見れるっていうのが、俺が宍戸さんとセックスする理由だから、挿れても挿れなくてもどっちでもいいんですよね」
「ただの自己満足じゃねぇか。欲のないやつだな」
「そうでしょうか? でも、これ以上でもこれ以下でもないんです。うん。もう十分」
まるで自分に言い聞かせるように、長太郎は呟いた。やっぱり本音は最後までしたいんだろうな。決して拒んでいるわけではないのだが、力任せにコトを成すヤツでもないし、いつかは願いを叶えてやりたいけれど、今はまだこのままでいいのかもしれない。
「なにが誰にも見せたことのない姿が見たい、だ。こんなに暗いんじゃ俺の顔も見えねぇだろ」
長太郎のささやかな願いを叶えてやりたくなった。
ベッドから抜け出して、手探りで部屋を横切る。
ここには何度も遊びに来たことがある。何も見えなくても、部屋の構造は頭の中に入っていた。
指先に触れた厚手の布地はカーテンだ。光を遮る特殊な加工なのだろう。なんでまたこんなに真っ暗にする必要があるのかわからないが、もしかしたら長太郎は明かりがあると眠れない性質なのかもしれないし、人様の家の事情には口出ししないのがマナーだ。
「宍戸さん? どこ行っちゃったの?」
「ここにいるぜ。カーテン開けるだけだ」
「カーテン? えっ、ダメです、開けちゃ」
背後で長太郎がベッドを降りるのと、俺がカーテンを開けるのは同時だった。
部屋が薄明かりに照らされる。
振り向くと、裸のままの長太郎がうずくまっていた。
「お、おい、長太郎どうした? 腹でもいてぇのか?」
肩を掴んだ手は、力強く振り払われた。
まさかの態度に、あっけにとられる。一瞬、何が起こったのかわからなかった。じんじん広がる手の痛みが、苛立ちに変わる。ついさっきまでどこもかしこも睦まじく触れ合っていた長太郎に、邪険に扱われるいわれはなかった。
「いてぇな、なにすんだよ」
「……うぅ……ヴヴぅ……」
耳を疑うような、低い唸り声。長太郎から発せられている音だと、すぐには認識できなかった。
「ちょ、長太郎……?」
「開けないでって、言ったのに」
薄明かりを反射してきらきら輝く銀髪が、突然さざ波立った。
ゆっくり立ち上がった長太郎の、瞳が俺をとらえる。
それは銀色に光って、まるで人間のものではなかった。
たとえばそう、獣。獲物を狙う、狼みたいな。
「こんなこと、したくない。今のままで、十分だったんだ」
悲しそうに呟いた刹那、長太郎は俺を組み伏せた。

 

月のまるい夜だった。

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