「はぁ~~~」
朝からため息が止まらない。
せっかく久々に人間界で宍戸さんとデートが出来ると思ったのに、ウキウキのワクワクで支度をしていたら突然上司から電話があって、今すぐ職場に来いって言われた。
天使長からのお達しで、本日は天使全員に出勤命令が出たらしい。
職権乱用だ!
俺、一か月前から有給申請してたんですけど!
しかし悲しいかな、どんなに抵抗したところで天使長の命令は絶対。
泣く泣く宍戸さんに連絡してデートは違う日にしてもらうことはできたけど、聞けば宍戸さんも上司に出勤するよう言われたらしい。
宍戸さんは魔界に住んでいる。ちなみにトップは魔王だ。
天界と魔界で同時に全員出勤命令が出るなんて、そんな偶然あり得るだろうか。
嫌な予感がした。
それよりも宍戸さんに会えなかった悲しみで胸がチクチクもやもやして、いつまで経ってもため息を止められそうになかった。
「本日、地球が滅亡します。大量の死者が天界と魔界に流れ込んできますので、各自、死者の取り違い、ご案内間違いのないように。各部署のリーダーはこのあと緊急ミーティングを開きますので残ってください。それでは皆さん、今日も一日頑張りましょう」
空中に天使全員を集めた朝礼で、天使長は淡々と驚愕発言をした。
俺だけじゃなく、周りの天使たちも呆然と立ち尽くしている。空中に飛んでいるから、浮き尽くしている、かな?
そんなことはどうでもいい。
地球滅亡? それって地球がなくなるってこと? 人間界が消えてしまうということ?
本日っていった? 本日って今日? 今日って、今にも滅亡してしまうってこと?
天使長からは、何が原因で地球が滅亡するのか詳しいことは聞かされなかった。
とにかくたくさんの死者が天界にやってくるから仕事をしろ、それだけだ。
地球にいる人間が一度に死んだら、天界はパンクどころの騒ぎじゃなくなる。
死者で溢れ、俺たちがフルで働いても死後の生活のサポートが行き届かなくなるなんてこと、この場にいる誰もが予想できた。
動揺した天使たちがざわめく中、俺は一人雲の上に建つオフィスに向かって急降下した。
どんなに仕事に遅刻しそうになってもこんなに速く飛んだことはない。
翼の閉じ方を間違えて着地に失敗したけれど、雲の上だからそんなに痛くなかった。
大慌てでオフィスの中に駆け込む。
自分のデスクに仕舞っておいた端末を取り出して、すぐさま宍戸さんの番号につないだ。
呼び出し音がもどかしくてイライラする。
十回ほど鳴ったあと、慌てた声の宍戸さんが出た。
「長太郎か!?」
「宍戸さん!? 聞きました!? 地球が!」
「あぁ、こっちもさっき朝礼で。まいったぜ。終末はまだまだ先じゃなかったのかよ」
「俺たちもなにも聞かされてなかったんですよ! どうして、なんでこんなに急に、地球滅亡だなんて」
「長太郎……つらいのはわかるぜ。天使だもんな。生き物の命が奪われるのは……」
「だって、だって俺……」
「おい、もしかして泣いてたりしねぇよな? しっかりしろ! あぁくそ、そばにいてやれたら」
「俺……俺……」
「長太郎、大丈夫か?」
「俺……俺……宍戸さんと行きたい地上のデートスポットいっぱいあったのに!!」
「……は?」
まだ誰も戻ってきていない空っぽのオフィスに俺の叫びがこだまする。
開けっ放しの引き出しの中には地球のおすすめスポットを特集した雑誌がぎっしり詰まっていた。
「宍戸さんとオーロラ見てないし、サバンナの夕日も見てないし、ニューヨークの夜空を飛びながらデートもしてないし、スキューバダイビングもしてないし、日本で花火見てたまや~って叫んでないし、リオのカーニバルで踊ってないし、ベネチアのゴンドラにも乗ってないんですよ!?」
ぎっしり詰まった雑誌には、付箋とマーカーでチェックしたあとがびっしりだ。
貯金と有給休暇を全部注ぎ込んで宍戸さんとのんびり人間界ツアーをするのが俺の長年の夢だったのに、いきなり滅亡して全部なくなっちゃうだなんてあんまりじゃないか。
「絶対に許しません……!!」
「許さねぇって、なにをだよ」
「決まってるでしょ! 地球を滅亡させようとするやつをですよ!」
「おいおい、原因も知らされてないのに何言ってんだよ。人間同士の戦争ならまだしも、隕石がぶつかるとか、太陽が爆発するとかだったら俺たちにはどうしようも出来ねぇじゃんか」
「それですよ! どうして俺たちに原因が知らされてないんですか? それこそ戦争だったりしたら、死者を天界に送るのか魔界に送るのか判別するのに必要でしょう?!」
「そ、それもそうだな」
「そもそもおかしいんですよ。昨日までなんの前兆もなかったのに突然地球滅亡だなんて。どうして誰もおかしいって気付かないんでしょう」
「……気付かないんじゃなくて、疑いようもないことだとしたら?」
「どういうことですか?」
宍戸さんがなにか言いかけたとき、廊下からガヤガヤと音がした。
職場の同僚たちが戻ってきたようだ。
端末をテレパシーモードに切り替える。
こうすれば、声を出さなくても直接宍戸さんの心に話しかけることが出来るようになる。
「すみません、仕事の時間になっちゃったので仕事してる振りしながら話していいですか?」
「おまえそんなことしてていいのかよ。天使は査定厳しいんだろ?」
「問題ないです。常に部内でトップクラスの成績をキープしてるんで。猫かぶるの得意なんです」
「大丈夫かよ、おまえの職場」
「それよりさっきの続き」
「あぁ、これは俺の推測でしかないんだけどな、もしかしたら地球終末時計に狂いが生じたって可能性はないか?」
「地球終末時計って、天界のコア室にあるスーパーコンピューターですか?」
「あれは天界魔界人間界すべての叡智の源ともいえるブツだろ? そいつが示したものには億が一にも間違いはないと誰もが信じている。きっと今日が地球滅亡する日だって計算がはじき出されたんだよ」
「そっか、だから突然こんなことになったのか!」
「あぁ。原因がわからないのもそのせいだ」
「なるほど、なにか不具合が起こって計算がずれたんだとしたら、原因が示されていないのもつじつまが合う」
「地球終末時計は誰しもがその正確さを信じているし、そうあり続けてきた。だから間違った結果だなんて思いもしないし、みんな信じたくないんだ」
「そんなの、思考を放棄したも同然じゃないですか!」
周りを見渡すと、すぐにでも忙しくなることを予想して戦々恐々としていた同僚たちが、死者歓迎ベルが一向に鳴らないことに首を傾げたり、怪訝な表情で死者検索端末を操作している。
宍戸さんの仮説が合っているとしたら、今日は地球滅亡の日じゃないし大量の死者もやってこない。
だから死者歓迎ベルもならないし、検索したところで死者の情報はひっかからないのではないか。
今の不思議な状況は、この仮説が正しいことを示しているようにしか思えなかった。
「魔界はどうです? 死者が増えていますか?」
「いや、まったく。そっちもか?」
「はい。これはやはり……」
「なぁ、長太郎、おまえやれるか?」
「やるって何を?」
「地球終末時計の精密検査を要請するんだよ」
「えぇ!? 天界の頭脳といわれる地球終末時計にケチつけろって言うんですか!?」
「俺は悪魔だから天界のことに口出しできねぇ。魔王なら何か言えるかもしれねぇが、平社員の俺が魔王に会うことすら今日中にできるかどうか。けど、天使のおまえなら直接進言することも出来るんじゃねぇか?」
「で、でも、俺だってただの平社員だし、こんな突拍子もない話をして本気で取り合ってくれるかどうか……」
「おまえなら大丈夫だって! 地球を滅亡させるやつは許さねぇんだろ? まぁ、滅亡しねぇとは思うけどな。それに、このままあの時計が地球が滅亡するって表示し続けたら、俺たち一生、来るはずもない大量の死者を待って職場に缶詰だぜ?」
「!! そんなことになったらずっと宍戸さんに会えなくなっちゃうじゃないですか!」
「休日も無くなるなぁ」
「絶対だめです!」
「ツアーどころかデートもできねぇなぁ」
「絶対絶対、ぜ~~~ったいだめです!!」
「なぁ、長太郎」
「は、はい、宍戸さん」
宍戸さんと会えない日々を想像して絶望感に打ちひしがれる俺の心に、優しく宥めるような宍戸さんの声が響いた。
「雲しかない天界でも、業火ばかりの魔界でもない、景色が綺麗でいろんな生き物がいて目移りするくらいワクワクが止まらない地上で、一年くらいおまえと遊びまわってみてぇなぁ」
しみじみと、まるで叶うことのない願いを星に祈るように宍戸さんは呟いた。
叶わないだなんて……そんなこと絶対にさせない!
俺は覚悟を決めた。
その夢、必ず俺が叶えてみせる!
「わかりました! 俺やります! クビになったら退職金と貯金を全部使って宍戸さんを地上に連れて行くんで、パスポートの準備していてくださいね!!!」
通話を切って勢いよく立ち上がった。
震える拳を握りしめて上司のもとに向かう。
土下座でもなんでもして、とにかく天使長に掛け合ってもらうのだ。
背中の翼に同僚たちの視線が痛い。
緊張でバサバサに毛羽立ちそうだ。
でも、待っていてください宍戸さん。
きっと本場フランスのチーズ食い倒れツアーをサプライズプレゼントしますから!
「まさか、あの予想が本当に大当たりだったとは思わなかったぜ」
カジノの一角。
スロットマシーンがスリーセブンを連発して、宍戸さんの足元に大量のコインを吐き出している。
他のお客さんの邪魔にならないようにコインを拾い集めながら、俺と宍戸さんは目を合わせて笑った。
ここは眠らない街、ラスベガス。
あの大事件からもう二か月が経っていた。
俺が進言した精密検査は天使長に受け入れられ、地球終末時計は徹底的に調べられた。
何日もかけて技術者たちが検証した結果、基盤に経年劣化が見つかったのだ。
幾億年も使われてきた時計だ。むしろ今まで不具合が起きなかったことの方が奇跡だと言える。
すぐさま新しい部品と交換され再計算されたところ、地球の滅亡は○○年先だという結果が出た。(天界と魔界の最高機密なのでお教えできません)
「それにしても二階級昇進を蹴っちまうなんて、おまえももったいねぇことしたなぁ」
コインでいっぱいになった箱を抱えた宍戸さんが俺を見上げて言う。
一緒に箱を抱えて換金場所に向かいながら、数日前のことを思い出していた。
今回の事件の功労者として昇進を言い渡された俺は、そのありがたい申し出を丁重にお断りした。
もともとは俺ではなく宍戸さんが気付いたことだったわけだし、俺はただ宍戸さんの考えを上司に伝えたに過ぎない。
そう正直に話したら、代わりに特別報酬と一年間の特別休暇を与えられることになった。
この大金があれば、一年間地球を好き放題飛び回ってもおつりがくる。
俺はこっちの申し出はありがたく頂戴することにし、すぐに休暇申請を出した。
上司に宍戸さんの話をしていたため天界から魔界にお礼状がいき、俺と同じくらいの特別手当が宍戸さんにも与えられた。
ちなみに、誤解されがちだが天界と魔界は敵対なんかしていない。
大昔にはバチバチに争った歴史もあるけれど、人間の人口が爆発的に増加した現在は死者の選別や死後のケアもシステム化され、天界と魔界はお互いに協力し合いながら仕事にあたる、言わば業務提携を結んでいる関係にあるのだ。
そして今、晴れて大手を振ってバカンスに繰り出した俺たちは、地上の国々を巡り最高に楽しんでいる最中なのである。
「だって昇進なんてしちゃったら、天使をやめられなくなっちゃうじゃないですか」
換金したお金をそっくりそのままサービスカウンターに持って行って全額寄付した。
寄付したお金はこの土地の病院や孤児院に割り振られるそうだ。
人間界で得たお金は出来るだけそのまま返すようにしている。
天使と悪魔の俺たちは良くも悪くも金運がいいのでこういう事態にしょっちゅう見舞われてしまう。お金は俺たちが持つよりも、必要な人間のところに行くのが一番いいのだ。
そうそう、ちゃんと翼も尻尾も仕舞ってある。
今の俺たちは、どこからどうみても人間の旅行者だ。
「天使をやめるって、どういうことだ?」
「俺はいつか堕天して宍戸さんと魔界で暮らすって決めてるんです」
カジノを出ると大きな噴水がライトアップされ、音楽に合わせて幻想的な水のショーを繰り広げていた。
柔らかい放物線がいろいろな動きを見せて、思わず見惚れてしまう。
「おまえが天使をやめて悪魔に転職? やめとけやめとけ」
「えぇ~だめですか? 宍戸さんとおそろいの尻尾生えたらいいなって思ってるんですけど」
「尻尾だぁ? 二人して尻尾生えてたら寝る時に絡まって鬱陶しいだろ」
「宍戸さんってばなんて想像してるんですか。もう、えっちなんだから」
「悪魔の俺より性欲強いやつがよく言うぜ」
「やだなぁ、宍戸さん相手だからに決まってるじゃないですか」
ライトアップされた光が宍戸さんに反射して、真っ黒の瞳が輝いている。
きらびやかな街の光よりも、天界でみる満天の星空よりも、宍戸さんの漆黒の瞳が一番美しい。
俺の視線に気付いた宍戸さんは、小悪魔めいたいたずらな笑みを浮かべて背伸びした。
唇に宍戸さんの唇が押し当てられる。
まばたきするほどの一瞬で離れて行ってしまった柔らかさを追い掛けようとしたら、宍戸さんは俺の手を握って肩にもたれかかってきた。
「やっぱさ、堕天するなんてやめとけよ」
そして、まるで天使みたいに慈愛に満ちた瞳で俺に微笑んだ。
「俺、おまえの真っ白な翼が好きなんだ」