呑まれた話

酔った勢い、というものはないらしい。アルコールに絆された本性が露呈するだけで、それは勢いでもなんでもないという。つまり酔っているときの言動こそが、普段は理性の裏に隠している本当の姿ということになる。
「宍戸さんはひどい人です」
長太郎はコンビニで買ってきた缶のハイボールをあおって言った。

先日二十歳になったばかりの長太郎に面白半分で宅飲みを持ち掛けた。「宍戸さんとお酒を飲むのが夢でした!」と嬉々としてついてきた長太郎は、俺がすすめた安酒をにこにこしながら飲み続けた。ほんのり頬を染めたくらいで具合を悪くする様子もなく、ビールやら酎ハイやら俺が手渡した缶をどんどん空けていく。その飲みっぷりは見ていて気持ちがいい。アルコールに強い体質なのだろうと好きに飲ませ過ぎてしまった。コンビニのビニール袋が空になった缶でいっぱいになったころ、長太郎から笑顔が消えた。俺の顔をじーっと見つめたかと思うとため息をついて酒をあおる。それを数回繰り返したあと、「宍戸さんはひどい人です」とはっきりとした口調で言った。

「ひ、ひどい? 俺が?」
物腰柔らかく従順だと思っていた後輩に面と向かって非難され、動揺してしまったことは否定できない。
「だって俺がいやだって言ってもサーブ打てって言うし」
「そんな何年も前のことまだ根に持ってんのかよ」
「人にぶつけるためにテニス始めたんじゃないのに」
「俺にケガさせたこと気にしてんのか? 気にするなって言っただろ。もともと俺が頼んだことなんだし」
「気にしないわけないじゃないですか。何言ってんすか。俺の気持ちも知らないで」
「それは、まぁ、悪いとは思ってるけど……っていうかもういいじゃねぇか昔のことなんだし」
「宍戸さんにとっては過ぎたことでも、俺にとっては終わったことじゃないんですよ」
ひどい、と言ってまた缶の中身をあおった。
「なぁ、もう飲むのやめれば」
「なんでやめなきゃいけないんですか。宍戸さんは特訓やめてくれなかったのに」
「それとこれとは話が違うだろ」
「違わないです」
口調も声色もいつもの長太郎とはまるで別人だ。重さをはらんで響き、胃がきゅっと縮むような心地になる。
まぶたが半分落ち据わった瞳で見つめられ、なぜか背すじが伸びた。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せて俺を睨みつけ、拗ねたように唇を突き出す。そして何か言いたそうに顔をゆがめたかと思うと、緩慢な動きでテーブルに突っ伏し板面にひたいを擦りつけた。持ったまま傾く缶に手を伸ばすとすんなりと離したので、これ幸いと長太郎から一番遠い位置、テーブルの端っこに追いやっておいた。
「宍戸さんはいつも勝手です。勝手に卒業するし、勝手に俺を置いていくし、勝手に大人になる」
「いや、いやいやいや」
長太郎は突っ伏したままぼそぼそと恨み言を吐き出し始めた。俺への突飛すぎる非難に、酔っ払いの戯言だとわかっていても反応せざるを得ない。卒業するのも大人になるのも俺の落ち度じゃないだろう。長太郎を置いていくってのはよくわからないけど、一歳年上の俺が先んじてしまうのは仕方のないことだし、勝手もなにもそれが自然だ。
「俺はいつだって宍戸さんを追いかけるばかり」
「そんなこと言われても」
「待ってくれない」
「うーん」
追いかけられている自覚はなかったのだが、長太郎が言うのならそうなのだろう。
「ひどい。ちょっとくらい俺の方を向いてくれたっていいじゃないですか」
「はいはい」
「今、俺のことめんどくさいって思ったでしょ」
「思ってねぇよ」
ちょっと思ってしまった。
「俺のことなんかどうでもいいんだ」
「そんなことないって」
「じゃあ俺のこと大切にしてくれますか」
「おう、長太郎は大事な後輩だと思ってるぜ」
「それじゃだめなんですってば。なんでわかってくれないのかな~」
長太郎はう~~と唸りながらテーブルにひたいを擦りつけた。
それにしても意外だ。長太郎が酔っぱらうとすれば泣き上戸か笑い上戸になるものだと思っていたし、こんなふうに絡み酒になるなんて想像だにしていなかった。いちいち反論していてもしかたない。夜も遅いし、適当に話を合わせておけば長太郎もそのうち眠くなるだろう。
ひとしきり唸り終えたのだろうか。動きを止めた長太郎はゆっくりと上体を起こした。頭が重いのか俯いたまま、またぼそぼそとしゃべりだす。
「やっぱり宍戸さんはひどい」
「そうか?」
「そうですよ、極悪非道です。俺のこと、何もわかってくれない」
「なんだよ、おまえのこと、わかって欲しいのか?」
「わかって、欲しい」
「じゃあ話してくれよ、おまえのこと。俺は極悪非道らしいからな。言ってくれなきゃわかんねぇんだ」
長太郎はゆっくりと頭を上げた。そしてまっすぐ俺を見た。
酔いがさめたわけではないようだが、さっき俺を睨みつけたような険しい表情ではなくて、目覚めたばかりのような、憑き物が落ちたような、どこかすっきりした顔をしている。
「そっか、言わなきゃわからないのか。そりゃそうか」
「はは、どうしたんだよ」
今ごろ気づいた風に言うものだから笑えてしまった。しかし、可愛げが戻ったみたいで少しホッとしたのもつかの間、長太郎は淡々と俺に要求しだした。
「俺が宍戸さんのこと好きだって、わかってください」
「ん?」
「好きって、好きって意味の好きです」
「んん?」
「ちゃんとわかってください。俺は宍戸さんに好きになってもらって、大切にされたい。追いかけるから、ちゃんと受け止めてほしい。これでわかりました?」
「えーっと?」
「まだわからないんですか? どう言ったらわかるんですか?」
「わかったような、わかんねぇような? ……いやいやいや、さっぱりわかんねぇよ!」
「ひどい!」
長太郎は身を乗り出して、また拗ねたような顔で俺を睨みつけやがる。
どこまでが本気でどこからが酔っ払いの戯言だ? 
好きって、そういう意味の好きなのか? 
わかんねぇよ、もっとわかりやすく言ってくれ。
つーかこれって告白だよな? 
告白されながらキレられるってなんだよ。
アルコールに化けの皮を剥がされたこいつにどう答えたらいいのか、やけくそになった俺は長太郎の飲みかけのハイボールを奪い、一気に喉に流し込んだ。
「あっ、俺のお酒!」
こうなったら毒をもって毒を制す。
冷蔵庫から新しい缶を二本引っ掴んできて、一本を長太郎に突き出した。
「うるせぇ、飲むぞ!」
俺は極悪非道らしいからな。
明日の朝、覚えてろよ。