エマージェンス・ピリオド DAY7

ぱちゃん。
湯舟の水面が揺れる。
立ったまま浴槽のへりに片足をかけて壁に手を付く宍戸は、鳳の楔が急にうしろから抜けていく感覚にぶるっと身震いした。
湯舟の中を一歩後ずさりした鳳に性急な手つきで腰を掴まれたと思えば、硬いままの陰茎が尾てい骨のあたりに押し付けられる。
散々穿たれたあとの腹の中にはっきりと残る余韻を噛み締めながら、宍戸は、次いで背中にじんわり広がった迸りの熱さにため息を漏らした。
「は、はぁっ、間に、合った」
鳳が荒い呼吸のまま呟く。
宍戸の肌の上に放った精液を見下ろし、視覚を刺激する淫靡さよりも、宍戸の胎内に射精せずに済んだことを安堵していた。
「意味、ねぇだろ、外で出したって」
コンドームをせずに挿入すれば、たとえ胎内に射精しなかったとしても完全な避妊ができたとは言えない。
そんなこと、鳳だって当然理解していたはずだったのに、宍戸のヒートに当てられ冷静な判断が出来なくなってしまったのだ。
それでも最後の最後で踏みとどまれたのは、セックスの途中で宍戸の香りが薄れたからだ。
今日は、一般的にヒート期間の最終日と言われている七日目。
ヒートを起こしたとしても、フェロモンの放出は極端に少なくなる。
実際、約一週間前のヒートではむせかえるようだった宍戸の甘い香りは、すでにうっすらと残り香がする程度にまで落ち着いていた。
今日中にも宍戸の体は完全に普段の状態に戻ってしまうことだろう。
鳳は浴室に漂う宍戸のラストノートに自分の放った青臭さが混じってしまったことを惜しく感じていた。
気怠そうにへりにかけていた足を湯舟に戻した宍戸が首だけで鳳を振り返る。
そして自身の背中を見下ろそうとわずかに体を捩じらせた。
「昼間っから風呂場でなにやってんだ俺たち」
「あはは……」
まだ日の高いうちに入浴することにしたのは、朝から巣材であった大量の衣服の片づけに精を出し汗をかいてしまったからだ。
まさかそこでヒートに見舞われるとは思いもしなかったが。
「それにしても、すげぇ出たなぁ」
「ごめんなさい、今流しますから」
「おい、このまま流す気か? 風呂に入っちまうだろ」
「そっか。えぇっと、どうしよう」
「ああもう、いいから」
精液が流れ落ちてしまわないように慎重に、かつ素早く浴槽から出た宍戸はシャワーの温水を背中にあてた。
宍戸の肌から自分の精液が流れ落ちていく。
鳳は湯船の中にしゃがみこみ、白濁の行方を膝を抱えて見つめていた。
「なんか……恥ずかしい」
「あ? なんか言ったか?」
水音で聞こえなかった声を聞き返して、宍戸はシャワーを止めた。
湯舟に戻ると鳳に向かい合って腰を下ろす。
ぬるくなってしまったお湯が性交で火照った体にはちょうどいい。
広い浴槽というわけでもないので悠々と足を伸ばせはしないのだが、ほっと一息ついた宍戸は、大きな体を縮ませて居心地悪そうにする鳳に首を傾げた。
「どうした? そういえばさっきなんか言ってたな。何て言ったんだ?」
「……恥ずかしいって言ったんですよ」
「恥ずかしい? 何が?」
「宍戸さんが背中を洗ってるのが」
「意味わかんねぇ」
「だって、なんていうか……粗相を宍戸さんに片づけてもらってるみたいで……」
「片づけるっていうのかコレ? まぁ、粗相っつーのは間違っちゃいねぇな」
「そうなんですけど……小さい頃におねしょしたシーツを母さんに取り替えてもらったのを思い出しちゃったんですよ」
恥ずかしい、と吐き出すように呟きながら、鳳は宍戸を引き寄せた。
されるがまま鳳に背を預けた宍戸を抱きしめる。
くっきりと噛み痕の残るうなじに鼻先を寄せれば、甘い残り香がほのかに鼻腔をくすぐった。
「はぁ、いい匂い」
「お? 照れ隠しか?」
しみじみ呟いた鳳を、宍戸が茶化す。
腕に力をこめ宍戸の体を抱き直した鳳は、今一度うなじに鼻先をくっつけて深く香りを吸い込んだ。
「もぉー、宍戸さんの匂いを記憶に焼き付けているんだから、今は邪魔しないでください」
「何言ってんだか。ヒートなんて、どうせまたすぐ来るぜ?」
「そんなのわかりませんよ。来月かもしれないし、半年後かもしれない。もしかしたら一年後かも」
「一年後かぁ。俺の体だったらそれもあり得るかも知れねぇな。あーでも、そんなに先になるのは勘弁してほしいな」
「宍戸さんもそう思います? やっぱりそうですよね! もっとたくさんいちゃいちゃしていたいですよね!」
声を弾ませた鳳が宍戸の頬に口づける。
くすぐったそうに首をすくませて、宍戸はくつくつと笑った。
「ばか。ちげーよ。あまり期間が空くとまずい気がするってだけだよ」
「どういうことです?」
何度も頬にキスを繰り返す鳳に顔を向けて唇を合わせれば、不満気だった瞳が無邪気に細められた。
「初めてのヒートと今回のヒートがさ、全然違っただろ? なんでだろうって考えてみたんだけど、ヒートが起こるまでどれくらい期間が空いたかで変わってくるんじゃないかって思ったんだよ」
長い間ヒートが来なかった宍戸の体が初めて経験したあの夜の発情を思えば、今回のヒートは前回からそう長い期間を置いて起きたものではなく、大分生易しいものだったと言える。
ヒートとヒートの間の期間が長ければ長いほど発情の度合が強くなるのかは定かではないが、それらが関連性のないものだとは一概には言えない気がした。
「だったら、出来れば小出しに来てくれた方がいいよな」
あの島でのヒートとこの一週間のヒート、どちらがいいというわけではないが、またヒートが起こるのならば、たった一日だけではなく、出来るだけ鳳と肌を重ねて日々を過ごしたい。
それに、発情の激しさに波はあったが、一週間かけて鳳と睦み合うのはなんとも心地よかった。
宍戸は爆発的な発情よりも緩やかな発情で鳳との時間を愛でていたかった。
「初めてのときみたいなヒートはつらいですか?」
宍戸の下腹に手のひらをあてた鳳が気遣う。
「つらくはねぇけど、長太郎が大変だろ」
「俺?」
「ヒートって、結局αがΩに振り回されるだろ? 強すぎるヒートだと俺の相手するのも楽じゃねぇよなと思って」
「……」
「ああ、でも俺の体の都合でおまえも仕事休まなきゃなんねぇし、一日で終わった方がいいのかもしんねぇけど」
「はぁ~……」
鳳の仰々しいため息が零れたかと思いきや、宍戸の体は鳳の腕と手のひら全体をぴたりと密着させてぎゅうっと抱きしめられた。
「また悪い癖が出てます、宍戸さん」
「へ?」
「一人じゃ番になれないって言ったのは宍戸さんだよ」
ハッとした宍戸が思い起こすのは、数日前の鳳との会話。
『俺だけが頑張るんじゃない、おまえだけでもない、二人でだろ。俺たちは番なんだから、乗り越えるのだって二人じゃなきゃだろ』
ヒートで浮かされて自由に動けない宍戸に代わり全ての雑事をこなそうとした鳳を、そう言って諭したのは宍戸だった。
「仕事のことも家事のことも全部ひっくるめて二人で、でしょ」
「……」
「俺は宍戸さんのヒートに振り回されるの嫌いじゃないよ。むしろ好きです。言ったでしょ、求められて嬉しいって」
「あぁ……そうだったな」
「俺たちはもうちょっと、甘えたり頼ったりすることに慣れる必要がありますね」
「……わりぃ、頭ではわかってるつもりだったんだけど」
宍戸の指先が鳳の手の甲を撫でる。
言葉のいらない合図で腕が緩められ、振り向いた宍戸は鳳の太ももを跨いで乗り上げた。
胸を合わせて抱き寄せ合い、唇を重ねる。
口づけが深くなるにつれて、甘い香りと花の香りがふわりと浴室に漂い始めた。
ぬるま湯の中で、宍戸の後孔が蜜をにじませる。
唾液に溢れる口内で舌を絡め合いながら、宍戸は手探りで鳳のペニスに触れ硬さを確かめた。
その形を慈しむように、筋が浮き出る竿を指先で這い上がる。
引っかかりのあるカリ首の周りをゆっくりなぞると、張りつめた亀頭を手のひらで包み込んだ。
二度三度、輪を作った指をカリ首にひっかけながら扱き上げれば、合わせた唇から鳳の熱い息が漏れる。
宍戸は腰を浮かせ、蜜壺で鳳の亀頭に触れた。
粘度のある愛液は、湯舟の中でも鳳を受け入れる潤滑液として宍戸の期待を裏切らない働きをする。
ゆっくり腰を落とせば鳳の亀頭が宍戸の性器を押し開き、侵入してくる熱さと質量が否応なく宍戸を悦ばせた。
「し、しどさ、入っちゃ、う」
発情した囁きが浴室に反響する。
「んぅ、いい、から」
素のままの姿で宍戸に挿入してしまうことを渋る鳳の陰茎を、宍戸の蜜壺はどんどん飲み込んでいった。
「あとで、ちゃんと薬、飲むから」
「約束、ですよ、?」
「うん。だから、ぁっ、もっと、もっ、と、」
ペニスを根元まで咥えた胎内をきゅーっと狭まらせて、宍戸は切なく眉根を寄せ鳳を見つめた。
物欲しそうな唇に吸い付きその舌をとらえる。
肌も粘膜も密着させ、鳳は宍戸をきつく抱きしめた。
それだけで、湧き上がる幸福を抑えきれず、宍戸は体を震わせた。
小さな絶頂が腸壁を不規則に収縮させ、鳳を締め付ける。
熱い息を交換しながら、宍戸は鳳の銀髪を濡れた指先で混ぜこんだ。
「あ、あぁ、長太郎」
鳳が宍戸との結合部に指を這わせれば、宍戸の腰がピクリと揺れる。
宍戸は、アナルのふちをなぞる指先が言わんとすることを正しく理解していた。
「っ、ん」
腰を引き上げた宍戸は、ゆっくりとまた鳳を飲み込んだ。
しかし、張り出たカリ首に胎内を甘く引っかかかれる刺激で腰が震えてしまう。
律動を繰り返せば繰り返しただけ搔き乱されてしまう快感を、その体は知り尽くしていた。
立たなくなってしまいそうな腰を叱咤して、宍戸は鳳を感じながら律動する。
それは自ら一歩一歩絶頂への階段を登っていくのと等しい行為だった。
「あっ、はっ、っ」
「宍戸さん、そんなに、ココ、気持ちいいの?」
「ん、ナカ、いぃ」
「ね。俺も、宍戸さんのなか、気持ちいい」
「な、なぁ、イ、イキた、い、んだけど」
「いいです、よ?」
「……っ、」
もどかしそうに腰をゆらす宍戸が、涙の膜に覆われた瞳で鳳を見つめた。
鳳には、その瞳が宍戸の懇願だとわかっていた。
飼い慣らせない快感を腹の奥に宿して、最後の階段を昇りきるための一押しを求めている。
宍戸は、それを鳳からもたらされることを望んでいた。
「動けないの?」
小さく何度も頷いて見せる宍戸の頬が染まっている。
緩く開かれた唇を唾液に濡らして、宍戸は鳳の名を切れ切れに呼んだ。
「ちょた、ちょうたろ」
「イカせてほしいの?」
「ん、っ」
ぎゅっと閉じられたまぶたから、一粒の涙を零して宍戸は頷いた。
鳳が腰を突き上げる。
跳ねる体で鳳に抱きついて、宍戸は引きずりだされる快感を余すことなく受け止めた。
「あ、あぁっ! あ、つよ、いぃ」
「ここ? ちゃんと、気持ちいい?」
「あたるっ、いぃとこ、あたってるっ! やばい、もう、もう、」
「イッて? ね、宍戸さん、いっぱい、イこう?」
「うぅ、んっ、っ、イッ、くぅ……!」
きつく抱きしめあって宍戸は達し、その締め付けで鳳はたまらず精を吐き出した。
力の入らない体を鳳にあずける。
鳳の首筋に鼻先をうずめて深く息を吸い込んでも、もう華やかなフェロモンは香ってこなかった。
ただただ、ひどくしあわせだった。
鳳の体温が腕の中にある。
香りが無くとも、一人きりでヒートを起こしたときの焦燥感や虚無感は鳴りを潜め、もう宍戸を不安にさせたりしない。
「今の、最後のヒートかな」
「みてぇだな」
浴室に残響する荒い息遣いとぬるま湯の水音。
二人の巣ごもりが終わろうとしていた。

 

「宍戸さん、外に干したものは結構乾いてますよ」
ベランダで洗濯物の乾き具合を確かめていた鳳に呼ばれ、宍戸はまだ水気の残る髪のまま洗面所を出た。
部屋干しされた洗濯物で溢れるリビングを通り抜け、ベランダに出る。
つっかけたサンダルは日に当たっていたのか温かかった。
「ん~~」
伸びをすれば、血潮が巡って体が目覚めるようだ。
晴天。空が青い。
あの島で二人で歩いた砂浜のことを思い出す。
潮の香りと、鳳の香り。
陽の光と、鳳の手のぬくもり。
「宍戸さん」
声の方へ向くと、鳳が洗濯物をひとつひとつ触って確かめ、乾いたものから取り込んでいた。
「晴れていてよかったですね。絶好の洗濯日和だ」
はれやかに笑って見せる鳳から目が離せない。
そのとき風がそよぎ、白いシャツがはためいた。
潮の香りがしたような、そんな気がした。