起床。まずは洗濯物を洗い直すことにした。
昨日洗ったまま洗濯機の中に放置してしまったのはいけない。宍戸さんのお世話を完璧にこなそうと決意したというのに、最後の最後で詰めが甘かった。
「だってさぁ、宍戸さんてば、たまんないんだもん」
バシャバシャと水に揉まれているシーツや宍戸さんが巣に使った俺の服に語りかける。この布たちに意思があったのなら、ずっと近くで俺たちのセックスを見ていた証人として、宍戸さんがどれほど可愛くえっちに俺を骨抜きにしてきたのか証言してくれるはずだ。
そう、可愛いのだ。
俺より年上でしっかりしていて男気のあるあの人が、ヒートを起こすとまるで別人のように惜しげもなく俺に愛情を注ぐ。
嬉しそうに口元をゆるめて抱きついてきたり、たくさんキスをしたり、感じている顔を隠そうとしないとか、俺を求めて離そうとしないとか、こんなことを好きな人に一日中されていたら骨抜きどころかふにゃふにゃに溶けてしまいそうになる。
そりゃあお互いのフェロモンのせいで普段よりも強烈に相手に熱を上げてしまうということはわかってはいる。けれど番わなければここまで溺れるようにセックスばかりすることもなかったわけだから、やっぱり俺が宍戸さんを好きで、宍戸さんが俺を好きだって事実がちゃんと根っこにあるのは揺るぎようがない。
宍戸さんの中で果てたあと、俺のほっぺたを撫でながらうるうるの瞳でじっとキスを待っている唇も、眠る直前まで俺の背中を撫でている指も、全部俺のことが好きで好きでどうしようもないっていう嘘偽りのない気持ちだ。
宍戸さんの心と体に俺という存在が隙間なく詰まっている。
勘違いでも傲慢でもなく、まっすぐにそう感じられるんだ。
嬉しくて嬉しくて、大好きですと伝えると、宍戸さんはそれはそれは幸福そうな笑顔で俺を抱きしめる。
こんなの、愛くるしくてしかたがないじゃないか。
「はぁ」
ためいきって、幸せでも出ちゃうんだ。
洗濯機がゴウンゴウンと唸りだして、回転に急かされるように寝室に向かった。
本当は宍戸さんが起きる前にご飯を作ろうと思っていたんだけれど、なんだか無性に宍戸さんを抱きしめたくなってしまった。
ドアを開けるとベッドの上は俺が起きた時と変わりない。ベッドに近づいて覗き込めば、宍戸さんはまぶたをぴったり閉じてすやすや眠っていた。この数日間、セックスばかりをして、食事は良くて日に二回取れれば御の字。なのに宍戸さんの肌は日に日に艶が増していくようだった。
一度着た服を脱いで裸になり、毛布に潜り込む。あったかくて、フェロモンではない宍戸さん自身のにおいがした。
「んぅ」
「あっ、ごめんなさい、起こしちゃいました?」
もぞもぞと気だるそうに動いた宍戸さんは、うっすらまぶたを開いた。そして俺を見るとまた目を閉じて、緩慢な動きで俺の首に腕を回して抱きついてきた。
胸に当たる吐息が温かい。まだ半分眠っている宍戸さんはむずがるように俺の鎖骨の辺りにひたいを擦らせて「おはよう」と言った。
「おはようございます。まだ早いので眠っていてもいいですよ」
洗濯をするために少し早く起きただけなので日はそれほど高くない。それに昨夜も遅くまでセックスをしていたから体の疲れも残っていることだろう。
「んー。おまえは?」
「俺?」
「ちょうたろも、もうちょっと」
眠気をたっぷり含んだ舌足らずな声で俺を夢の世界へ誘う宍戸さんは、温かい手のひらで俺の頭を撫で始めた。
「ふふ、俺を寝かしつけようとしてるの?」
「ん。おまえと、くっついて寝るの、好きなんだ」
「そっか。俺も宍戸さんをだっこして眠るの好きだよ」
「じゃあ、このまま、もうちょっと」
囁きは間もなく寝息に変わった。あどけない表情で眠る宍戸さんは俺を離そうとしない。
大げさかもしれないけれど、世界が終わるならこの瞬間であってほしい。
そんなことを思いながら、宍戸さんのひたいに口づけてまぶたを閉じた。
次に目覚めたときには、日がすっかり高くなっていた。
「腹減ったなぁ」
体を起こして伸びをしながら、宍戸さんが言った。
「あぁ、ごはん作らないで二度寝しちゃった。ちょっと待っててくれますか? すぐ何か作るんで」
ベッドを出ようとした俺の腕を、宍戸さんがグイッと引っ張った。
「なぁ、出前とらねぇ?」
「出前ですか?」
「たまにはいいだろ」
「うーん」
渋ったのは、またいつヒートがくるかわからないからだった。頼んでおいて、ヒートが来たから受け取れません、なんてことになったら迷惑になる。
返事に詰まっている俺の考えを察したのか、宍戸さんは頭の後ろを掻きながら続けた。
「今日は大丈夫だから」
「大丈夫って、ヒートのこと?」
「起きた時からすっきりしてるし、次のが来るまでもう少し時間がかかりそうな気がする。気がするってだけで確かなことは言えねぇけど」
「そういうものですか?」
「感覚だけどな。なんだったら来るまでのあいだ風呂に入ってるし、それだったらおまえに影響しないだろ」
「そこまでして出前がいいんですか?」
俺の作るごはんに飽きたのだろうか。とびきりおいしいというわけではないけれど、俺なりに一生懸命作ったんだけどな。
「あー違うんだ。そうしょんぼりするんじゃねぇよ」
俺の頭を撫でて、宍戸さんは眉尻を下げた。
しょうがねぇなって、俺を慰めるときの顔をしている。
「おまえにばっかり頼ってるからさ、少しくらいおまえも楽していいんじゃないかと思って」
「そんな……俺、大変だなんて思ってないですよ」
「そうかもしれねぇけど、なんつーか、おまえだけが頑張るのは違うと思うんだ」
手を取って、宍戸さんは俺の目をじっと見つめた。
「俺たちはバースが違う。役割も違う。でも番になっただろ? 一生離れられない運命共同体だ。だから、頼ることはこれからもたくさんあるとは思うんだけどさ、助け合えるならそっちの方がいいと思うんだよ」
「助け合う?」
「頑張ることは大事だけどよ、頑張ってもどうしようもないことだってあるだろ。そういうときのために、助け合うことに慣れておくのも悪くねぇんじゃねぇか?」
「でも、俺は本当に少しもつらいなんて思ってないんです。宍戸さんのヒートだって俺を求めてくれて嬉しいし、一人で家事を全部するのだって大変なんて思わない。俺は宍戸さんのことを支えたいと思って……やっと番になれたんですから……」
まっすぐな宍戸さんの瞳を見つめていられなくなった。
瞳を反らした俺の手を、宍戸さんは力強く握りしめる。
宍戸さんの言っていることは理解できるんだ。俺たちは番になったけど、αとΩの体質の違いが似通ったり変化したりすることはない。だからこれからもその違いに悩まされることがたくさんあるだろう。宍戸さんの言うように、頼ったり頼られたりしながら二人で生きていくために、助け合うことは必要不可欠だ。
けれど、宍戸さんが無理をしなくていいように俺が頑張ることはいけないことなのだろうか。俺の願いは宍戸さんが元気でずっと俺のそばにいてくれること、それだけなのに。
「俺さ、長太郎に逃げようって言われたとき、何言ってんだこいつって腹が立ったんだ。だけど、逃げてよかった。おまえにずっと感謝してるんだ」
「え?」
俺と目が合うと、宍戸さんは優しく微笑んだ。
俺たちが逃げたとき。ヒートのない体を抱えて、宍戸さんが心のバランスを崩した出来事。
あのとき、『逃げちゃいませんか』と宍戸さんを東京から連れ出したのは俺だった。
「俺がわけわかんなくなって、家からも出られなくなって、このまま何もできなくなったらどうしようってすげー怖くなってさ。でも長太郎が逃げようって俺をあの島に連れていってくれて、ゆっくりだけど俺を取り戻せている実感があったんだ。逃げてきたのは俺にとって最良の選択だったんだって気付いた。あのとき、もしおまえと番うことが出来なかったとしても、俺は長太郎と一緒に生きていこうって決めていたと思う」
「宍戸さん……」
初めて聞いた宍戸さんの告白だった。
あのとき、俺たちは番った。宍戸さんのバースと俺のバースが共鳴し合った夜だった。
翌日の晴天を背に『俺はおまえのもんだ!』と笑顔を弾けさせた宍戸さんをはっきりと覚えている。
俺はあの笑顔を一生忘れることはないだろう。
「俺にヒートが来ないのは、頑張ってもどうしようもないことだったんだ。なのに努力すればどうにかなるって、いや、努力しなければいけないと思い込んでいたんだ。はは……ヒートがくるための努力なんて、なにをすればいいのかわかんねぇくせにな。だから逃げるなんて選択肢、俺一人だったら思いついてすらいなかったと思う。俺は長太郎に救われたんだ。番うことは一人じゃ出来ないことなんだって、おまえが気付かせてくれた。だからさ、俺だけが頑張るんじゃない、おまえだけでもない、二人でだろ。俺たちは番なんだから、乗り越えるのだって二人じゃなきゃだろ」
静かに話す宍戸さんの声が、力強く聞こえた。
宍戸さんは俺と生きていきたいんだ。俺と二人で、つらいことも楽しいことも分かち合いながら生きていきたいんだ。
だから俺だけに頑張らせるようなことをさせたくないんだ。
もし逆の立場だったら、なんて宍戸さんに言ったらαだって事実は変わらねぇだろって言われるとおもうけれど、きっと俺も同じことを考えただろう。
納得した俺の顔を見てほっとしたのか、宍戸さんは握っている手の力を緩めて相好を崩した。
無防備に弧を描く唇にキスをする。
目を丸くした宍戸さんは、いたずらな笑みで俺にキスを返してくれた。
「わかりました。じゃあ久々に頼んじゃいますか、かつ丼!」
「お、いいな!」
電話で注文している間俺の背中に引っ付いていた宍戸さんは、二十分程度で到着すると知るやいなや足早にバスルームに行ってしまった。
服を着て、今度こそ洗濯物を取り出しベランダに向かう。
外はあのときと同じような真っ青な晴天だった。
出前を取るか取らないかの話し合いで、思いがけず宍戸さんの本音を聞けてしまった。
シーツを干しながら、俺たちは番なんだからとまっすぐに俺に語り掛ける宍戸さんを思い出しては胸の奥の方がじんわりと熱くなってくる。
番って、うなじを噛んだらはい終わりってわけじゃなくて、想い合って、時間を掛けて、本当の番になっていくのかもしれない。
もしかしたら、それを運命の番って呼ぶのかもしれない。
「俺は今でも宍戸さんのこと、運命の番だって思ってますよ」
風に揺れたシーツに、こっそり告白した。