エマージェンス・ピリオド DAY4

しっかりしなきゃと自分で自分を鼓舞したはいいものの、そう容易いことではないと鳳は自覚していた。
宍戸のフェロモンに誘われたら何をおいても身を差し出してしまうのだ。
食事よりもセックス、睡眠よりもセックス。性的欲求を満たそうとすればするほど、当然ながら体力は消耗していく。回復に必要なのは栄養と睡眠だと、頭では理解しているのだが体が宍戸を求めてしまうのだ。
昨夜キッチンで体を重ねたあと、鳳は冷めてしまった料理を急いで温め宍戸と食卓を囲んだ。セックスの余韻に浸ることなく慌てて用意したのは、宍戸のヒートがおさまっている間に食事を済ませてしまいたかったからだ。ひっきりなしに起こるヒートだが、セックスのあとはフェロモンの放出が幾分か落ち着く。鳳はそのタイミングを見計らって宍戸の世話を焼いた。
夕飯のあと、またヒートで体を火照らせた宍戸と寝室に戻り夜更けまでお互いの体を貪り合った。何回したかなんて数えることは一日目から放棄している。激しく、ときには穏やかに宍戸と繋がるとき、鳳は得も言われぬ高揚感で満たされた。まるで世界に二人きりでいるようだった。宍戸が作った巣の中で、鳳は宍戸を絶頂に導き、安らぎを得ていた。宍戸の体を知った鳳には、バースのヒエラルキーの頂点がαだとはどうしても思えなかった。だって宍戸がヒートを起こしてくれなければ番うことなどできなかったのだ。むしろαこそが、Ωにひれ伏す従者ではないのか。少なくとも鳳にとっては、宍戸に全てを捧げることはごく自然のことだった。
だから残り少ないヒート期間、鳳は宍戸の身の回りの世話を完璧にこなすという目標を立てた。
よし、と気合を入れてベッドを抜け出す。
昨日の疲れが残っているのかまだすやすやと深い眠りについている宍戸のひたいに口づけを落とし、起こしてしまわないようにそーっと寝室を出た鳳はまずバスルームに向かった。
頭からシャワーを浴びて汗を洗い流す。腕や背中のこまかい引っ掻き傷にボディーソープの泡が染みもしたが、それらをつけた時の宍戸の切羽詰まった様子を思い出しては口端が緩んでしまうのを止められなかった。
普段の宍戸はセックスの最中に鳳に傷を残すなんてことは滅多にしない。そういうときは鳳の肌ではなくシーツに爪を立てる。痛みを与えようとしない宍戸の気遣いに優しさを感じる一方、傷なんていくらつけてくれても構わないから身も蓋もなく縋りついてくれたらいいのにと思っていた。そんな宍戸が、ヒートの最中は鳳の肌に爪を立てまくる。力任せに鳳の腕を握りしめ、背中を引っ掻く。鳳は繋がる快感にほんの少し振り掛けたスパイスのような痛みを腕や背中に受けながら、気遣いも出来ないほど鳳とのセックスに溺れる宍戸の姿に胸が高鳴るのを抑えられなかった。
バスルームを出てざっと髪を乾かした鳳は、朝食を作るためにキッチンに向かった。
もう日も高く、早朝とは言い難い時間帯だ。いっそブランチにしてしまおう。
手っ取り早くカロリーを摂取できるように献立はパスタにすることにした。ちょうどトマト缶が戸棚にある。茹でて簡単に味付けしたソースと絡めればすぐに出来上がった。
宍戸を起こしに行こうとした鳳は、ふと思い立って冷蔵庫からミネラルウォーター二本を取り出し、二人分のパスタを一つの大皿に盛り付けた。きちんとテーブルに座って食事をする必要はないのだ。いつヒートが起こるかわからないのなら、食べれるときにさっさと食べてしまった方がいい。鳳は食事処をベッドの上にすることに決めた。
フォークを一本突き刺して寝室まで運ぶ。両手が塞がっているので四苦八苦しながらドアを開けると、すでに目覚めていたらしい宍戸が毛布をかぶってベッドのすみで丸くなっていた。
その周りを鳳の衣服たちで取り囲んでいる。巣材は一日目からずっとベッドの上にある。まぐわっている間に端へ端へと追いやられてはいるが、宍戸が片づけたがらないので鳳は好きにさせていた。
大皿とペットボトルをサイドテーブルに置いた鳳は、ベッドに乗り上げにこやかに微笑んだ。
「宍戸さん、おはようございます」
「……おはよ」
おや、と宍戸を観察すれば、こちらを見つめて唇を尖らせている。毛布からおずおずと腕を伸ばしたかと思えば、鳳を呼び寄せるでもなく巣材である衣服を引き寄せて、更に唇を尖らせた。
「宍戸さん……怒ってるの?」
「怒ってねぇ」
「じゃあどうしてムッとしてるの?」
「知らねぇ」
「それにまた巣作りして……もしかして、寂しかった?」
鳳がしかめっ面を覗き込むと、巣材をぎゅっと握った宍戸は瞳を泳がせたあと、鳳を見つめたままうなずいた。
抱きしめずにはいられなかった。毛布ごと両腕いっぱいで包み込んで、鳳は尖らせることをやめた宍戸の唇に口づけた。
宍戸を抱き起こし小さな巣から出すと、もう一度抱きしめてキスをした。まだ目覚めて間もないのだろう。宍戸の肌は子どものような熱を持ちあたたかかった。
服を着ている鳳に対して宍戸は一糸まとわぬ姿のままだ。料理をするために鳳は服を着ていたが、ヒート四日目ともなれば裸のまま過ごすことに二人とも抵抗は無くなっていたし、当然のことだった。
「ひとりぼっちにしてごめんなさい」
「うん。でも、もう平気だ」
宍戸の腕が鳳の背を抱く。鳳はその肩越しに住人のいなくなった巣を見下ろした。
目覚めたときに鳳がいないことに気付いた宍戸は、ひどく心細かったに違いない。巣材を寄せ集めて身の回りを囲んだのはおそらく無意識だろう。宍戸にとって巣は鳳そのものだ。巣に囲まれていれば安心できる。鳳が見下ろしている空っぽの巣は、宍戸の本能がどんなときでも鳳を求めているという証だった。
「おはよ、長太郎」
「おはようございます、宍戸さん」
「なんかいい匂いがする」
「えっ、俺のフェロモン出てました?!」
「そうじゃなくて、うまそうな匂い」
ぐぅ、と鳴いたのは宍戸の腹だった。
「朝ごはん作ってきたんです。といってももうすぐお昼だから一緒にしちゃおうと思って。簡単なものなんですけど」
ベッドの端に並んで腰かけ、鳳は膝においた大皿からパスタをフォークに巻き付けた。宍戸に差し出せば素直に口を開いた。おいしそうに咀嚼して飲み込み、あーんと口を開く。その口の端についたトマトソースを鳳が舐めとると、宍戸は気恥ずかしそうにしながらも目を細めて微笑んだ。まるでひな鳥にえさを持ってくる親鳥のように、鳳は宍戸にパスタを与え、同じ分だけ自分の胃袋におさめた。
冷たいミネラルウォーターが宍戸の喉を通る様子を見つめていた鳳は、ぺたんこだった宍戸の腹が食事によってわずかにぽっこりと膨れていることに気付き安堵した。
「おなかいっぱいになりました?」
「おう、ありがと。悪いな、俺なんもできなくて」
「何言ってるんですか。宍戸さんだけのヒートじゃないんだから、お互い出来ることをすればいいんですよ。それに宍戸さんのお世話をするなんて滅多に出来ることじゃないから、ちょっと楽しくなっちゃってます」
そっか、と鳳に寄りかかってきた宍戸はその体勢のままミネラルウォーターを飲もうとして盛大に零した。肌を流れる水の冷たさに飛び上がった宍戸は、ここでようやく完全に目が覚めたようだった。
「やっちまった、拭かねぇと」
「いいですよ、ちょうどシーツも洗濯しようと思ってたし。そうだ、おなかもいっぱいになったし、片づけてるあいだに宍戸さんはお風呂入ってきてください」
「あー、そうすっか」
部屋を出ていく宍戸を見送って、鳳は体液が飛び散った巣材を選別しシーツを取り換えた。本当はベッドの上にある衣服を全部洗ってしまいたいところだが、それでは宍戸の反感を買う。それに一度に洗うには膨大な量だ。だからセックス中に汚れてしまった衣服以外はそのまま残しておくのが得策なのだ。
洗濯機にそれらを放り込んで開始ボタンを押したのと、宍戸がバスルームを出るのはほぼ同時だった。
鳳は宍戸の体と髪の毛の水気をバスタオルで丁寧に拭きとった。そのまま寝室に戻ろうとする宍戸を引き留めてリビングに連れていくと、ソファーに座らせてドライヤーと宍戸の服を持ってきた。
「風邪ひいちゃうんで髪は乾かしましょ」
「でも、それやだ」
「それ?」
宍戸が指さしているのは鳳が持ってきた宍戸の服だった。やだ、とは着たくないということなのだろうか。ソファーの上で素っ裸のまま胡坐をかいている宍戸がひとつくしゃみをした。
「ックシュ!」
「ほら、体冷えちゃうから着てください」
「どうせすぐ脱ぐだろ」
「そうかもしれませんけど」
早く隣に座れと、宍戸が鳳の腕を引っ張っている。鳳がソファーに腰かけると、ドライヤーをコンセントにつないだ宍戸が鳳に背を向けてソファーの上に陣取った。乾かしていいぞという意思表示のようだ。
「そうだ」
ひらめいた鳳は着ていたシャツを脱ぎ、宍戸の背中に羽織らせた。衣服をまといたがらない宍戸でも、これなら大人しく着てくれるかもしれない。このシャツには鳳の匂いが染みついている。鳳の香りに包まれるのならば、宍戸にとって衣服は厭うものではなくなるはずだ。
「俺の服なら着ていてくれますよね?」
「しゃーねぇなぁ」
作戦は成功したようだ。
「よかった。髪乾かしますね」
シャツに袖を通した宍戸は心なしか安らいで見えた。
ドライヤーの温風を髪にあて、しっとりした黒髪を乾かしていく。そういえば宍戸は起きてからまだ一度もヒートを起こしていない。甘えてくる態度は相変わらずだが、熱っぽい瞳で誘われることに慣れてしまった鳳は少しだけ寂しくもあった。
ヒート期間の一週間も折り返しだ。そろそろ頻度も落ち着いてくるころなのかもしれない。
「ん……っ」
髪が大体乾いてきたとき、宍戸が肩を揺らした。
その時、温風に巻き上げられ鳳の鼻腔をかすめたのは、嗅ぎなれた甘い香りだった。どこから漂ってくるのかは知っている。鳳はさらけ出された宍戸のうなじに鼻先を寄せ、すぅっと深く息を吸い込んだ。
いい匂いだ。ほんの数時間嗅いでいなかっただけなのに、長いこと待ち望んでいたような気さえしてくる。
鳳の意識は酩酊しはじめ、蜜の香りに花の香りが混じりだした。
「うーん、また来ちまった」
ドライヤーを止めた鳳を、宍戸が振り向く。
「ほんと、ヒートっていつでも、どこでもだな」
「いい匂い。宍戸さんの匂い、ああ」
「ん? おまえ、もうやばい?」
「え?」
「すげぇ、えろい顔してる」
じりじりと宍戸に迫り、ついにはソファに押し倒して、鳳は前をくつろげ猛りきったペニスを外気に晒した。
「やばい、かも。すごく、宍戸さんが欲しい」
アナルに押し当てられる張りつめた亀頭の感触に、宍戸は喉を鳴らして鳳を見上げた。
「すげぇ興奮する、おまえのその顔」
「あまり煽らないで。どうしたんだろ、乱暴にしちゃいそう」
「長太郎がヒート起こしてるみてぇ。はは、避妊するなんて言ってたくせに、このまま入れたら止まらなくなるぜ?」
発情しているはずの宍戸の挑むような目線がいたずらに鳳を刺激する。蜜壺から溢れる愛液が鳳の亀頭を濡らし、吸いつくように挿入を誘導しているようだ。
「え? あ、ああ、そうだった。そうでしたね、避妊、しなきゃ」
「っ、あっ、んなこと、言って、もうっ、入ってんじゃ、ねぇか」
腰が勝手に進んでしまう。まだ亀頭が埋め込まれたばかりだが、熱い宍戸の胎内はすでに鳳を迎え入れようと蠢き始めていた。
「んあっ!」
ぶるっと震えた宍戸の太ももに腰を挟まれ、一瞬我に返った鳳はペニスを抜き宍戸の手を引いた。
「やっぱりだめです! ベッド、行きましょ……?」
「はぁっ、おまえ、よく我慢できたな」
「我慢なんて出来てないですよ。早く宍戸さんの中に入りたいんで、早く、早くベッド行きましょ」
ベッドサイドのチェストにはコンドームが常備されている。理性が千切れてしまう前にそれを装着してしまわないと昨日までと同じことを繰り返してしまう。
負担をかけたくないと言ったくせに、行動で示さないとまるで意味がないじゃないか。
宍戸の手を引いて寝室に駆け込んだ鳳は、乱暴に開けたチェストからコンドームの箱を取り出した。中身をシーツの上にバラバラと散らばらせて、焦る指先でひとつの封を切る。コンドームをつけるということはこんなに煩わしい工程を経ないとできないことだっただろうか。硬く主張するペニスの根元まで巻き下げて、やっと出来たと勢いよく顔を上げれば、宍戸が神妙な顔で笑いを堪えていた。
鳳の慌てふためく様子の一部始終を見ていた宍戸はついに噴き出し腹を抱えて笑い出してしまった。
「なん、なんで、おまえは、はは、そんなに、くくっ」
「わ、笑うなんてひどいですよ! だって、だって!」
「わかってる、わかってるから、あはは」
シーツの上にごろんと仰向けになって足をじたばたさせながら笑い転げている。濃いフェロモンを垂れ流しながら肌を火照らせ蜜壺は準備万端に潤んでいるというのに笑うことをやめようとしない宍戸の姿に、鳳は怒ればいいのかセックスを続けてよいのか混乱してきた。しかし陰茎は痛いくらいに質量を増している。早く宍戸と繋がって欲を吐き出してしまいたい。
「もう、我慢できないんですってば。宍戸さん、あとでいっぱい笑っていいから、セックスしていい?」
「いい、いい、全然いい。しようぜ」
おさまらない笑いを喉奥で押し殺しながら、宍戸は足を大きく広げて性器を露わにした。濡れそぼる後孔に挿入すれば、コンドーム越しでも肉壁が吸いついてくるのがわかる。鳳は欲望のままに腰を振った。宍戸の声に甘さが含まれるまでそう時間はかからなかった。性器同士の擦り合いがどうしてこれほどまでに全身に悦びを走らせるのか。宍戸の体を貪りながら、鳳は頭のすみ、ほんの端っこで、今日は食事も入浴も済ませられたから思う存分セックスしてもいいよね?と自分に問いかけ、もちろん!と自分で答えた。

洗濯機のなかに入れっぱなしの洗濯ものの存在に気付いて落胆するのはあと数時間後、夜も更けたころの話である。