はじめて好きな人に誕生日プレゼントをおくる宍戸さんの話

長太郎誕生日おめでとう! 付き合いたての鳳宍です。

悩んでいる。経験したことのない悩みゆえ、解決方法がわからない。
長太郎の誕生日が迫っているのだ。
部活を引退して、いろいろあって長太郎と付き合うようになった。
長太郎は、ただの後輩からダブルスパートナーになって、ついには恋人になったのだ。
なってしまったので、悩んでいる。
恋人の誕生日プレゼントって、いったい何を贈ったらいいんだ。
グリップテープじゃ味気ないんだよな、多分。
どうしたらいいんだ。
恋人って、どうするのが正解なんだ!?

あれこれ悩んでいても埒が明かない。
一人で考えるより誰かの知恵に頼ろう。
ということで、岳人に相談することにした。
友達の多いあいつのことだ、こういうことにも詳しいかもしれない。
「なぁ、好きなやつの誕生日って何あげたらいいんだ?」
「へ!? おまえ好きなやついんの!?」
初手から失敗した。そうだった、こういうやつだった。自分の興味に一直線なやつなんだ。
「うるせー。誰でもいいだろ」
「よくねぇよ! 誰? なぁってば、誰?」
しつこい。俺の周りをぴょんぴょん飛び跳ねるな。あと声がでけぇよ、誰かに聞かれたらどうすんだ。
「いいから、誕生日! なにあげたら喜ぶんだ?」
岳人が飛び跳ねないように両肩を掴んで問いただすと、露骨に嫌な顔をされた。
「なんだよ。それが人にものを聞く態度かよ」
ぐうの音も出ない真っ当な指摘だが、ここはあえて無視させてもらう。
「そうだなー、自分がもらってうれしいものあげたら喜ぶんじゃねぇの?」
俺だったらレア物CDとかもらったらうれしいぜ!と岳人は歯を見せて笑った。
自分がもらってうれしい物か。たとえば、ビンテージのジーンズとか?
でもそれって長太郎がもらってうれしいものか?
ビンテージジーンズを受け取る長太郎の困惑した顔が浮かび、「誰だよ! 教えろよ!」とわめく岳人を背にその場を去った。

デリカシーのかけらもない幼なじみに相談した俺が馬鹿だった。
ここはもう少し情緒というものをわかっていそうなやつに相談してみようと廊下を進む。
たどり着いた先の生徒会室は、昼休みだというのに学園中の喧噪から遮断されたように静かだった。
「で? 俺様になんの用だ」
生徒会長の椅子に鎮座する跡部は、生徒会の仕事だろうか、手元の書類を見つめたまま言った。
「あー、えっと」
「さっさとしろ。おまえと違って暇じゃねぇんだ」
尊大な態度であしらわれるが、こんなのは三年も一緒にいれば慣れっこだ。
テニス部レギュラーの三年生には、今更跡部の言動にいちいち目くじら立てるやつなんていない。
「相談があるっていうか」
「相談?」
「好きな人の誕生日って、なに贈ったらいいとおもう?」
興味をひかれたのか、書類から顔をあげた跡部は面白そうに目を細めて俺を見た。
「おまえから好きな人なんて言葉が飛び出るとはな」
「ほっとけ」
「俺様に相談するくらい困ってんのか」
「まぁ……そうなるか、な」
「誰だ」
岳人のときと同じ展開。やっぱり聞き方がまずかったか、と身構える。
「あ? 誰でもいいだろ」
「よくはないだろ。てめぇは誰でもいいような相手にプレゼントを贈るのか」
「それは……」
「相手がどんな人間かで贈り物は変わる。人となりをよく見極めて選ぶべきだろう」
跡部の言うことはもっともだった。
プレゼントならなんでもいいというわけではない。
選ぶべきは、長太郎が喜んでくれるものでなければ。
「おまえが好意を寄せる相手がどんな人間か言えないのなら、俺様からできるアドバイスはねぇな」
話は終わりだと言わんばかりに、跡部は再び書類に目を落とす。
全校生徒の名前を覚えている跡部らしいことだ。人をひとまとめにしない考え方は立派だと思う。
だが、言えないものは言えないのだ。
ここでも大した収穫を得ることはできず、生徒会室をあとにした。

誰彼かまわず相談すりゃいいってもんじゃないな。
もっと具体的かつ確実に情報を集めなければ。
長太郎と近しく俺の話を脱線せずに聞いてくれる人間は、もうこいつしかいなかった。
「なんですか。あらたまって相談だなんて。三年生は暇なんですか」
一言多い後輩はめんどくさそうに眉根を寄せた。
「そういうなって、日吉。すぐに終わるからよ」
「はぁ」
岳人や跡部への相談で失敗したことを踏まえ、好きな人というのは伏せておくことにした。
「もうすぐ長太郎の誕生日だろ。あいつ、なにもらったら喜ぶとおもう?」
日吉がため息をつく。
「そんなの、宍戸さんからもらったものなら、なんだって喜ぶんじゃないですか。今更でしょう」
それはそうなんだが、今年の誕生日はそれではいけないのだ。
とは、言えない。
「氷帝の最強ダブルスは、誕生日プレゼントを贈りあう仲なんですか。強い信頼関係だこと」
「そんなんじゃねぇよ。つーか、もう引退したし」
「でも高等部でも組むつもりなんでしょう?」
「まぁ、あいつがよければ」
「だったら、ほぼ確定じゃないですか」
日吉の皮肉めいた揶揄いも、跡部の王様な態度と同様、慣れたものだ。
「日吉は幼稚舎から長太郎と一緒だろ。なんか知らねぇか、好きなもんとか」
「ただの腐れ縁ですよ。でも、そうですね、好きなものなら」
「なんだ?」
日吉は食いついて尋ねる俺をまっすぐに見ると、片頬をわずかに引き上げた。
「宍戸さんなんじゃないですか?」
「へ?」
「あいつの好きなもの。宍戸さんでしょ」
心臓がどきりと跳ねる。
俺たちの関係は誰にも話していないはずだ。もしかして、日吉にはバレているのか? 長太郎がうっかり口を滑らせたとか? いや、誰にも言いませんと言っていたあいつを信じたい。
「昔っから宍戸さん宍戸さんって、三年生が引退しても一向に宍戸さん離れしそうにない。どうにかしてくださいよ。練習に支障がでるんですよ。あんな様子じゃ、もし宍戸さんに彼女でもできたら卒倒するんじゃないですか?」
「……え?」
「なんですか? 呆けた顔をして」
あからさまなしかめっ面を俺に向けて、日吉は腕を組んだ。
日吉の口ぶりからすると、俺と長太郎が付き合っていることは知らないようだ。
ほっと胸をなで下ろす。
俺たちの関係がバレてしまうことが怖いわけじゃない。ただ守り抜きたいだけだ。付き合っていることは二人だけの秘密にしましょうと言った、長太郎との約束を。
「とにかく、鳳は宍戸さんがくれたものならどんなものでも諸手をあげて喜びますよ。それこそ道ばたの小石だって喜ぶに違いない」
「さすがに小石はやらねぇよ」
「おめでとうとでも言ってやれば十分に喜ぶんじゃないですか」
「それくらいは普通に言うだろ」
おめでとうなんて当然のことを言うだけでは、プレゼントにはならない。
日吉は腕を組んだまま小さくため息をついた。
これ以上引き留めておくのも気が引ける。
「相談乗ってくれてありがとな。悪かったな、引き留めて」
「だいたい毎日毎日うるさいんですよ。宍戸さんがああ言ったとか、宍戸さんがこんなことしてくれたとか、俺が知るかって話です。責任とって一緒に高等部に連れてってくれませんか。まったく、練習に集中できたもんじゃない」
「そ、そんなこと言ってんのか。わかったよ。今度会ったら注意しとくから」
忌々しげにぶつぶつ言っている日吉の愚痴を聞きながら、熱くなる顔を見られないようにそそくさと逃げ帰った。
長太郎は俺のことを毎日毎日話してるのか。
だらしなくにやけてしまう口元をぎゅっと引き結ぶのは、なかなか難しいもんだ。

結局、三人に聞いても参考になるアドバイスはなかった。
やはり、大事なことは自分で考えて決めろということだ。
長太郎はどんなものが好きだっただろうか。どんなことをされたら喜ぶんだっけ。
長太郎と過ごした日々を振り返る。
けれど思い出せるのは、うしろをついてくる長太郎の声ばかり。
果たしてテニス以外の普段の生活で長太郎のことをよく見ていたかと問われると、自信はなかった。
付き合うようになってからはもっとひどい。
なんとなく気恥ずかしくて、長太郎の顔をまっすぐにみることが出来なくなっている。
あいつの、控えめなようでいてしっかりと耳に残る笑い声は思い出せるのに、最近の長太郎がどんな顔で笑っていたかを思い出すことが出来なかった。
ただひとつ、泣きそうに眉根を寄せたぎこちない笑顔が鮮烈に記憶に残っている。
好きだと言われて、好きだと言った。
本当ですかと、長太郎は絞り出すように言った。
俺の真意を問いながら、嘘ではありませんようにと願うような寄る辺ない笑顔だった。
長太郎のあんな顔をみたのは初めてだった。
それが一番新しい、あいつの笑顔の記憶。
どうしたら前みたいに笑いあうことができるだろうか。
面白いことを言って笑わせられるような自信はない。
でも、歩調をゆるめて、面と向かって話すことはできるはずだ。
前みたいに恥じらわずに目を見て話すことができたら、長太郎は笑ってくれるだろうか。
そんなことを考えていたら、プレゼントのことより長太郎に笑ってもらうにはどうしたらいいかで頭がいっぱいになっていた。

二月十四日。長太郎の誕生日当日。
学園内はバレンタインデーに浮き足立っていた。
例年通り、跡部あてに常軌を逸した数のチョコレートが届いている。
俺のところにも同級生や後輩の女子が何人かチョコを持ってやってきた。
去年までは全部受け取っていた。もらったチョコレートの個数を仲間たちと競い合った年もあったっけ。
だけど今年は全部断った。欲しいとすら思わなかった。
いや、厳密にいうと、欲しいと思う相手は一人だけいる。
好きだと思う相手にもらうチョコレートは、きっと今までもらったチョコレートよりずっと甘くて美味いんだろう。
しかし、俺は何ももらえないだろう。
だって今日はそいつの誕生日であり、贈るべきは俺からのバースデープレゼントなのだ。

ホームルームが終わるやいなや、学園を飛び出した。
いつもだったらテニスコートに顔を出して後輩の様子を眺めたり、図書室でさほど興味のない本をめくったりして時間をつぶしている。長太郎との待ち合わせがあるからだ。長太郎が部活を終えるころに校門に向かい、一緒に帰るのが日課になっている。今となっては二人で過ごせる唯一の時間だ。
けれど、今日は一緒には帰れない。
長太郎には先に帰ると伝えてあった。それから、あとで長太郎の家に行くとも。
長太郎は一緒に帰れないことを落胆する風でも、あとで会えることをうれしがる風でもなかった。
ただ一言、神妙な顔で「はい」と言った。

駅方面に向かう。
その途中、住宅街に近い道沿いにこじんまりとした花屋があった。
真冬の花屋は、見ているだけで寒くなる。ガラス張りのドアは開け放たれ、店員はダウンを着てはいるものの、冷たい水のなかに手をいれて花の茎を切りそろえている様子が過酷そうに見えるのだ。
店から少し離れたところから、バケツに入れて並べられた花々に目をやる。
あれから悩んだ結果、長太郎にはシンプルに花束を贈ることにした。
散々考えた末に選んだプレゼントが花束とは、少々ありきたりすぎるだろうか。
花束を選んだのは、これといった決め手があったわけではない。
ただ、あいつのことを考えていたときに、ふと、長太郎が校舎まわりの花壇に水をやっていたことを思い出したのだ。
当番かと聞くと、長太郎はそうではないと言った。
土が乾いて見えたらしい。「用務員さんに聞いたらちょうど水やりの時間だというので、手伝っているんです」と言って長太郎はじょうろで水をやっていた。
「すげぇな、えらいな」と思わず呟いたら、長太郎は「そんなことないです」と照れたように顔を背け、じょうろを傾けすぎて植木鉢から水を溢れさせた。
そのときの、はにかんだ横顔を思い出したのだ。
俺の目線より上の位置にある長太郎の横顔を見上げて、かわいいなと思った。
花を贈ろうと決めたのはそれだけの理由だ。
と、そんなことを思い出しながら花屋に近づく。
店頭には色とりどりの花々が並んでいる。
違いはよくわからないが、綺麗だということはわかる。が、段々とどうしたらいいのかわからなくなってきた。
自分で花を買うのは生まれてはじめてで、花束とは花が何本必要で、どのように注文するべきなのかがわからない。
「いらっしゃいませ」
立ち尽くす俺を気遣ってくれたのか、店の人はにこやかに声をかけてくれた。
「あー、えっと、花束を買いたくて」
「オーダーですか?」
「オーダー……?」
「好きな花を選んで花束を作れます。オーダーじゃなければ、あっちに出来上がっているものもありますよ」
見ると、カウンター前の棚に小さな花束が並んでいた。テーマカラーごとに作られた、片手に収まるくらいの小さな花束。
長太郎がちょこんとした花束を持った様を想像すると、ちょっとかわいらしすぎて躊躇ってしまう。
答えに困っていると、またもや察してくれたのか、花束を贈る相手と用途を聞かれた。
ここ数日のチームメイトたちとのやり取りから学び、「大切な、パートナーに」と答えた。
好きな人と言っては具体性に欠けるし、長太郎と言っても知っているわけがない。
後輩とか恋人とか、長太郎との関係を表す言葉はいくらでもあるけれど、パートナーというのが一番しっくりくるような気がした。
「パートナー……?」
「あ、テニスやってて、ダブルスで、後輩がダブルスパートナーなんですけど、今日が誕生日で!」
聞き返されて舌がもつれた。
自信たっぷりにパートナーと答えたくせに、なんて恰好つかない言い様だ。
俺はいつからこんなに説明が下手くそになったんだろうか。
情けないやら申し訳ないやらで項垂れてると、店の人が落ち着いた声で「どんな後輩さんですか?」と聞いてきた。
長太郎はどんな後輩か。
思い浮かべながら、一呼吸おいて答える。
「ひとつ下の後輩で、俺よりデカいくせに、なんかふにゃふにゃしてて、でもサーブが誰よりも速いっす。えーっと、いいやつで、小さい生き物とか、花とかに優しいっていうか。でも結構負けず嫌いで、俺にも勝ったことあるし。はい、強いやつです」
頷きながら聞いてくれていた店員さんは、「だったらこの花束ではないですね」と出来合いの小さな花束ではなくオーダーで作ってくれることになった。
予算を聞かれ、花の色に好みがあるか聞かれ、あれよあれよという間にさすがの手際の良さで花束が出来上がっていった。

夜。夕飯のあと、部屋に隠しておいた紙袋を片手に家を出た。
紙袋には作ってもらった花束が入っている。
待ち合わせは長太郎の家の近くの公園だ。
先に来ていた長太郎は、電灯の下でマフラーにあごをうずめて立っていた。
「待たせてごめん」
「そんなに待ってないですよ」
「うそつくな。鼻まっかじゃん」
電灯に照らされた長太郎は、マフラーにあごだけでなく顔の半分を埋もれさせた。
こいつのことだ。約束の時間よりずっと前に来て俺を待っていたんだろう。
風邪なんか引かせられない。さっさと用事を済ませて帰してやろうと、紙袋を押しつけた。
「ん」
「えっ?」
「プレゼント。誕生日だろ、今日」
ぶっきらぼうに渡すことしかできないなんて、愛想のない奴だな、俺は。
あんなに悩んで悩んで、長太郎に喜んでもらいたくて用意したプレゼントなのに、土壇場で照れくさくなってしまった。
当の本人はさほど気にしていないようで、紙袋を受け取ると中をのぞき込んで「わぁ」と声を上げた。
「花束だ! 俺に、ですか?」
長太郎は、やけに言葉を区切って言った。
おまえ以外に誰にやるんだよ、と口を出そうになった言葉を飲み込む。
花束を取り出した長太郎は両手で大事そうに抱え、いろいろな角度からじっくりと眺め始めた。
花屋でアレンジしてもらった花束は、淡い色の花びらが重なり合って長太郎によく似合う。
季節柄、真っ赤な薔薇がイチオシだろうに、店の人は俺が話した長太郎のイメージを膨らませてふんわりと柔らかい印象の花束を作ってくれた。
控えめな華やかさが、心根の優しい長太郎にぴったりだ思った。
「きれい……ありがとうございます」
長太郎は花束から目線を上げて言った。
前に見た、花壇に水やりをしていたときのはにかみ顔と重なって、思わず目を背けてしまう。
花束越しの長太郎が、不思議と眩しく光って見えたのだ。
またやってしまった。
照れてる場合じゃないっつーのに。
今日は長太郎の顔を見て、言ってやるんだって決めたじゃないか。
「長太郎」
気合いをこめて、長太郎を見る。
長太郎は目を丸くして俺を見ていた。
「誕生日おめでとう」
言えた。よかった、言えた。
一息ついて、笑って見せる。うまく笑えているだろうか。誕生日を祝いたい気持ちは、長太郎に伝わっているだろうか。
長太郎は丸くしていた目を細めて、ほころぶように微笑んだ。
だが眉根を寄せたかと思うと、次第に表情を曇らせていった。
うつむいて、小さな声で「ありがとうございます」と呟いた言葉尻が涙声に滲んでいる。
「ちょ、長太郎?」
びっくりした。さっきまで嬉しそうにしていたというのに、突然どうしたっていうんだ。
俺はなにかを間違ってしまったんだろうか。
「すみません、こんなつもりじゃ」
俺に背を向けた長太郎は、鼻をズビズビさせて夜空を見上げた。
涙がこぼれないようにしているようだ。
「泣くことないだろ」
「ですよね。はは、なんで涙が出てきちゃったんだろう」
ははは、と長太郎はわざとらしく笑った。
誰もいない公園は、どちらかが話していないとしんと静まり返る。
少しの間、何も言わずに長太郎が落ち着くのを待った。
ほんの数分間だったと思う。
遠くの方で車のクラクションが鳴る音がして、後押しされるように口を開いた。
「なぁ」
長太郎の後頭部に話しかける。
「こっち向けよ」
長太郎はゆっくりと振り向いた。
涙は零れてはいなかった。
「誕生日おめでとう」
もう一度伝えたかった。
今日という日は長太郎にとって特別な日なんだ。
きっとたくさん祝われたことだろう。
家族にも、友達にも、長太郎はたくさんの人たちに好かれているから、おめでとうと何度も言われたに違いない。
だからここにも一人、長太郎を大事に思っているやつがいることをきちんと伝えておきたかった。
「プレゼント、悩んじまって、大したもん渡せなかったけど」
「そんな。とってもきれいです。それに」
長太郎はまた花束をまじまじと見つめた。
「宍戸さんが選んでくれたなら、なんだってうれしいです」
でかい体を縮めるようにして肩をすくめ、長太郎は目を細めた。
「さっき、悩んだって言ってましたね」
「おう。結構悩んだ」
「そうですか。うれしいな」
「うれしいのか」
「はい、うれしいです。宍戸さんが俺のことを考えてくれたことが、うれしい」
「そっか」
「はい」
長太郎は花の一輪一輪を見つめながらうれしいと言った。
そしてまた、手の中の花束がほころぶように頬を緩めた。
ふざけあったときの笑顔とも、勝利を手にしたときの笑顔とも違う、見ているだけでじんわりと胸の奥があたたかくなるような笑顔。
真冬の夜空の下なのに寒さが気にならないほどで、長太郎に笑いかけられるとこんな風に感じるのかと、自分の変化に驚いた。
長太郎の顔もろくに見られなくなっていた近頃のことを振り返ると、なんてもったいないことをしてきたのかと悔やまれてならない。
長太郎のこんな笑顔を、何度見逃してきたんだろう。
恥ずかしいと、たったそれだけの理由で、こんなにも満たされる気持ちを知らずにいた。
好きだなぁと、ごくごく自然に思った。
「本当にありがとうございます」
「何回も言わなくていいぜ。大したもんじゃねぇし」
「すみません。でも、言わせてください」
花束を大事に抱えたまま深々と頭を下げられ、居心地が悪くなる。
「だから、本当に大したもんじゃないんだって。今日の主役がそんな真似すんなよ」
長太郎の肩に触れ、わずかに揺する。
長太郎はゆっくり体を起こすと、花束に目線を落として口を開いた。
「宍戸さんに今夜会えるかって言われたとき、実は怖かったんです」
「は?」
予想もしなかったことを言い出され、首を傾げる。
長太郎はちらっと俺を見て、また花に目線を移すときゅっと唇を嚙んだ。
「もう……付き合うのをやめようって、言われるんだと思って」
また涙声を滲ませた長太郎は、さっきみたいにパッと夜空を見上げて話を続ける。
「最近の宍戸さんは、俺と一緒にいても楽しそうじゃなかったっていうか。目も合わせてくれなくなったし。これって、そういうことなのかなって、思ってしまって」
まぶたを忙しなく開いたり閉じたりしている長太郎は、涙声を隠そうとしているのだろうか、まくしたてるように早口で言った。
言葉が出なかった。
俺が長太郎の顔を見なくなっていたことを、長太郎は俺の心が離れていると感じていた。
そんな風に受け取られているなんて、思いもよらなかった。
誕生日なのに、不安な気持ちを抱えなければならなくなるほど傷つけていたなんて。
昼間のやりとりを思い出す。
今夜会いに行くといったときに神妙にうなづいて見せたのは、こういうことだったのか。
別れを告げられると思っていた長太郎は、寒空の下、どんな気持ちで俺を待っていたのだろう。
「俺のせいで、ごめん」
頭を下げる。
たとえ悪気はなくても、長太郎を不安がらせていたのは俺だ。
つまらない見栄とか虚勢とか恥じらいとか、とるに足らないもので長太郎を振り回してしまった。
他でもない長太郎を、好きだと言ってくれて、好きだと思った、一番大切にしなければならない人を傷つけた。
「すみません。宍戸さんを困らせるつもりじゃ」
長太郎は慌てた様子で俺の肩に触れた。
「困ってなんかいねぇよ。おまえに謝りたいんだ。不安な気持ちにさせて悪かった」
長太郎が頭を下げ続ける俺の肩を揺するたび、視界の端に花束がちらついた。
「俺が勝手に不安になっただけですから。お願いです。頭を上げてください。もう、謝らないで」
涙声が滲む。
頭を上げると、長太郎は拳で目元をこすって涙を隠した。
「そんな風に言うなよ」
「宍戸さん」
「おまえが悪いみたいに言うな。そういうのは、フェアじゃないと思う」
「フェア、ですか……?」
「俺もおまえのこと、その、す、好きなのに、おまえだけが嫌な思いをするのは、違うと思う」
伝えたいことはもっとあって、他に選ぶべき言葉は山ほどあるはずなのに、ひとつもうまく口にできない。
お互いに好きという気持ちがあるのに、俺のせいで長太郎が傷ついて、その悲しみを俺ではなく自分のせいにするなんて悲しすぎるだろう。
そう伝えたかっただけなのに、俺の頭は「好き」という単語を発したことでオーバーヒートして回転を止めてしまった。
「宍戸さん、俺のこと、まだ好きなんですか?」
長太郎は花が束ねてあるリボンのところを両手でぎゅっと握りしめて言った。
「す、好きにきまってるだろ! じゃなかったら、おまえの誕生日になにあげたらいいか、こんなに悩んだりしねぇよ」
長太郎は下唇を噛みしめて、じっと俺の話を聞いていた。
そんなに強く花束を握ったら、花がしおれてしまうだろうに。
「おまえの顔を見れなくなってたのは謝る。嫌になったわけじゃないんだ。本当だ。ただ、どうしても、照れくさくて」
「照れくさい? 俺の顔を見るのが?」
「うるせぇ。どうしようもなかったんだよ。こんなの、初めてで……」
鏡を見なくても自分の頬が赤くなっているのがわかる。
思わず顔を背けると、あろうことか長太郎がのぞきこんできた。
「ばっ……! 見んな!」
「宍戸さん、ほっぺたが真っ赤ですよ」
「言われなくてもわかってるって!」
「わぁ、かわいい」
「はぁ!?」
「あっ! ごめんなさい。生意気なこと言いました」
ぺこぺこ頭を下げて平謝りする長太郎のつむじが見える。
ふわふわ揺れる長太郎の髪の毛を見ていたら、ふっと肩の力が抜けた。
長太郎が恐る恐るといった様子で顔を上げる。
目と目が合って、なんだかおかしくなって、俺たちは声を上げて笑った。
「長太郎と、こんな風に笑いたかったんだ」
「え?」
「どうやったら笑ってくれるかって考えてさ。面白いこと言えるわけじゃないし、どうしたらいいかわからなくてよ」
あはは、と長太郎が笑う。
「宍戸さんが面白いこと言わなくたって、俺はいつだって笑えますよ。宍戸さんが笑ってくれるなら、どんなときでも楽しくなるんで」
なんの飾り気もない笑顔が降ってくる。
自然と笑みがこぼれた。
好きだなぁ、と思う。
今日はなぜか何度も実感する。柄にもなく舞い上がっているのかもしれない。
そんな日があってもいいじゃないか。だって長太郎の誕生日なんだし。
長太郎は花束をこれでもかというくらい丁寧に紙袋の中に戻した。
そしてコートのポケットに手を突っ込むと、小さな箱を取り出す。
筆記体のロゴが書かれた箱には赤いリボンが巻かれていた。
「俺からも宍戸さんに贈り物です。バレンタインデーのチョコレート」
「チョコ? まじかよ」
「生まれてはじめて、本命のチョコを買いました。宍戸さんは今年もいっぱいチョコをもらってると思うんですけど、できれば俺のチョコは最後に食べてもらえるとうれしいです」
一番最後に食べるのって特別な感じがするでしょう?と、長太郎ははにかみながら差し出してきた。
受け取った瞬間、飛び跳ねたくなった。
片手に収まるくらいの小さな箱一つで、心臓が踊りだしてどうしようもない。
この気持ちをどう形容したらいいんだろう。
世界中に自慢したいような、誰にも言わずに秘密にしておきたいような、真逆の衝動がぶつかり合うような落ち着かない気分だ。
「クラスの女の子たちも宍戸さんにチョコレートあげるって言ってましたよ。何人か行きませんでした?」
「そういや来たかも。でも今年はひとつももらってない。全部断った」
「そう、なんですか?」
「おまえからのチョコしかいらなかったから。今年もらったチョコはこれだけだ」
口元がにやけてしまうのを抑えられない。
長太郎からもらえるなんて思ってもみなかった。
自分の誕生日なんだぞ。自分が祝われることだけ考えてりゃいいのに、俺へのバレンタインチョコをわざわざ選んできたってことだろ。
そんなの、喜ばないわけないだろう。
「やべぇ。めちゃくちゃうれしい」
チョコレートをもらって、こんなに嬉しい気持ちになったのは初めてだ。
ありがとう、と長太郎を見ると、両手で口元を覆って感無量のまなざしでこちらを見つめる瞳があった。
「やっぱり、宍戸さんはかわいいです」
「はぁ? どこが?」
「宍戸さんが否定したって、俺にはかわいく見えちゃいます。だって、好きなんですもん」
長太郎はまぶたをぎゅっと閉じて「んーー」と唸りだした。
そんな反応をする長太郎を初めて見た。
もしかしたら、俺たちは好きという気持ちの扱い方がわからずにお互いを意識しすぎていただけなのではないだろうか。
一人で悩んで、一人で傷ついて、不安なことだらけで、でも心配するようなことははじめから無かったんだ。
長太郎が笑ってりゃそれでいい。そのために、もっと素直に気持ちを伝えていきたいと思った。
それから二人でいろいろなことを話した。
話題なんてなんでもよかった。
ひとしきり揶揄いあって、たくさん笑った。
帰り道ではどちらともなく指が絡んで、初めて手を繋いだ。
握る指先に力をこめる。
力強く握り返されて、それ以上の力をこめて握り返す。
近所迷惑にならないように小声で痛い痛いと笑いあうと、真夜中の秘密を共有しているみたいでドキドキした。
この時間がずっと続いて欲しいと思うのに、早く明日の長太郎に会いたいとも思う。
初めての気持ちばかりだ。
「明日からも、また一緒に帰れますか?」
「あぁ。図書室で昼寝して待っててやるよ」
「ふふ、先生に怒られないかなぁ」
チョコレートみたいに甘ったるい声で笑う長太郎を横目で見上げる。
やっぱり早く明日の長太郎に会いたい。
明後日も、その次の日も、長太郎に会いたい。
そして来年も長太郎の誕生日にどんなプレゼントを贈るか考えて右往左往するんだろう。
悩むことすら楽しみになっているだなんて、おかしな心境だ。
でもまずは、部屋に帰りついたら長太郎にもらったチョコレートを大事に食べよう。
誰にも内緒で、こっそりと食べることにする。
だって、たまらない気持ちになって飛び跳ねてしまうのを抑えられる気がしない。

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