家族が出払った家の中を、宍戸さんの手を引いて歩くのは何度目だろう。
クーラーの効いた廊下を進むとき、宍戸さんはなにも喋らない。誰もいないとわかっていても、玄関で「お邪魔します」と言ったきり俺の部屋に辿り着くまで無口になる。
まめだらけで硬い宍戸さんの手のひらは、さっき一緒に手洗いしたばかりなのにもうしっとりと汗ばんでいた。
階段を上りきったところで振り返ると、ラケットバッグを担ぐ宍戸さんは俺に気付いて顎を上げた。
「今日は泊まっていきます? それとも帰っちゃいます?」
ふくらはぎを蹴られて大げさに声を上げると、宍戸さんは少し慌てたように俺の背に触れた。
「ばっか、おまえ」
「誰もいないって言ってるのに」
「そうだけどよ」
なんか落ち着かねぇんだよ、と瞳を逸らす宍戸さんの手のひらが熱くなる。
その熱が俺を喜ばせてしまうことを宍戸さんは知らない。
強く握り返した手を引いて、部屋に招き入れて、ラケットバッグを床に下ろした宍戸さんを抱きしめた。
「あちーよ」
「外よりは暑くないでしょう? クーラー効いてるし」
「クーラーの話をしてんじゃねぇよ。おまえの体があっちーって言ってんの」
締め切った窓の外から蝉の声が漏れ聞こえてくる。必死に鳴き叫ぶ喧噪に急かされて、宍戸さんの唇にキスをした。
「暑いの得意なくせに」
さっきまで炎天下でコートの中を走り回っていた。太陽の光をたっぷり浴びた宍戸さんの髪の毛は、日に焼けてちょっと茶色がかっている。おでこの生え際に口づけると、練習後のシャワーで土埃が洗い流された肌からうっすら宍戸さんのにおいがした。
「練習とはちげーんだよ」
「なにが違うの」
俺の腕から抜け出ていった宍戸さんは、まず靴下を脱いで、ベルトを外して、制服のスラックスを脱いで折り畳むとそれらをまとめてラケットバッグの上に置いた。
服を脱ぐ宍戸さんは部室で見慣れているけれど、脱ぐ順序が違う。宍戸さんはユニフォームに着替えるとき、シャツから脱ぎ始める。でも俺とこういうことをする時だけ、宍戸さんは下から脱いで、俺より先にベッドに上がる。
「体動かさねぇのに暑くなるだろ。おまえとするときは」
ベッドの上であぐらをかいて、シャツのボタンに指を掛ける宍戸さんが俺を見上げている。
部屋の外ではあんなに静かで、ともすれば周りを警戒するようなそぶりさえ見せる宍戸さんは、この部屋の中ではさも当り前のように俺と触れ合う準備をする。
その無防備さは宍戸さんの性格によるものなのか、それとも俺に心を許してくれているからなのか。後者であったらいいなと思う。
「ねぇ、今日は帰っちゃうんですか?」
宍戸さんは何も言わずにシャツを脱いだ。
ベッドに足を進めながら引き抜いたネクタイを放る。首元まで締めたシャツのボタンを外すのが煩わしいといつも思うけど、制服はきちんと着ないといけないから仕方ない。
ベッドに乗り上げたとき、宍戸さんはすでに下着も脱いで裸になっていた。たまには俺が脱がせてみたいと思わなくもないけれど、思い切りがいいというか、宍戸さんの脱ぎっぷりは見ていて気持ちいいものがあるから少し困る。それでいて、脱いだものはきちんと畳んでベッドの下に置くものだから、宍戸さんの余裕を見せつけられている気もして、悔しい気持ちが顔を出すのも否定できない。
これから俺といやらしいことをして全身汗や体液でぐちゃぐちゃになるというのに、宍戸さんは心が逸ったり落ち着かなくなったりしないのだろうか。
俺はいつだってたまらなくなる。一刻も早く宍戸さんの肌に触れて、たくさんキスをして、俺だけを見ていてもらいたいし、宍戸さんの中に入って一つになって、そして俺にしか見せない表情で俺の名前を呼ぶ宍戸さんを抱きしめたい。
そう思うと居ても立ってもいられなくなる。シャツも、中に来ていたTシャツも、スラックスも、パンツも靴下も、着ているものを一切合切脱いでベッドの下に放り投げていった。
「まーた脱ぎ散らかして、おまえは」
俺の服を拾って畳もうと、宍戸さんはベッドから上半身を乗り出そうとした。
そんなものどうでもいいじゃないかと、宍戸さんの肩を引いたら、肩越しに振り向いた宍戸さんは口元をムズムズさせて俺に引かれるままベッドに仰向けに寝転んだ。
「なにニヤニヤしてるんですか」
「別にぃ?」
覆いかぶさる俺を見上げていとも簡単に足を広げる宍戸さんは、やっぱりどこか余裕があるように見える。
「やっぱり今日は帰っちゃうつもりなんでしょ。なんで泊まっていってくれないんですか」
「明日も部活あんだろうが」
「うちから一緒に行けばいいじゃないですか」
「それはだめ」
「なんで」
抱きついてきた宍戸さんに唇を塞がれて、何も言えなくなる。
宍戸さんの舌が俺の舌に絡んで、宍戸さんの指が俺の髪の毛を混ぜこむ。
唐突に始まるセックスに身をゆだねるのは嫌いじゃない。宍戸さんは俺の手を受け入れて、体中あちこち触れれば触れるだけ、小さく震えて気持ちよさそうに反応した。
「ほんっと、なんでそんなに」
宍戸さんの胸を舐めながらおなかの下の方を撫でているとき、宍戸さんが俺の頭を撫でて言った。
「ふぁに?」
「ん、そこ」
顔を上げて、唾液で濡れた乳首を指で擦りながら宍戸さんの性器に触れる。
透明な液でぬるついた亀頭を手のひらで包んで、ゆっくり撫でると宍戸さんは喉の奥でくぐもった声を出した。
「ここ? 宍戸さん、ぬるぬるさせて撫でられるの好きだよね」
「んっ、あぁ、いい、長太郎」
「ねぇ、さっき何言おうとしたの?」
「っ、ん。さっ、き?」
性感帯を刺激しながら話す俺を、宍戸さんは咎めない。
むしろ楽しんでいるようで、もっとしろと胸を反らし腰を揺らして俺に催促した。
乞われたとおりに、宍戸さんを気持ちよくする手を止めない。
硬くなった乳首を押しつぶしては引っ掻いて、とめどなく溢れるカウパー腺液を潤滑剤に亀頭を撫でればヌチヌチと淫らな水音が響いた。
「あ、あぁ」
「そんなに、なに?」
「ちょ、たろ、が」
「俺が?」
「せっ、くす、するとき」
「宍戸さんとセックス? こうやって?」
宍戸さんの体液で十分に濡れた手のひらで筒を作り、カリ首に引っ掻けるようにして上下させる。
さっきまでとは違う刺激に腰を跳ねさせた宍戸さんは、俺の腕を強く掴んだ。
「んぅっ! やべぇっ……て、イキそ、だから」
「なんで止めちゃうんですか。イッちゃっていいのに」
「……そうなんだけど」
「俺とイキたかったとか?」
みるみるうちにほっぺたを真っ赤にした宍戸さんは、枕元に用意しておいたコンドームとローションボトルを投げつけるように俺に寄越した。
「生意気! ほんっと可愛くねぇ!」
「うそだぁ。宍戸さんの前では一番可愛くしてますよ」
ケッと唾を吐く勢いでそっぽを向いてしまった宍戸さんは、それでも仰向けのまま足を開いて俺に準備をさせてくれている。
けれど、たっぷりのローションで宍戸さんの後ろを拓いている間も、宍戸さんの憎まれ口は止まらない。
「なにが一番、っ、可愛くしてる、だよ。逆だろ、逆。んっ……っ、知ってんだぞ、おまえが王子様って呼ばれてん、の」
「宍戸さん、ちゃんと息吐いて。王子様って、あぁ、女の子たちが言うアレですか」
「外面いいのな! 俺の、前じゃ、あっ、ん、生意気な、くせに、いぃっ!」
解れて柔らかくなった宍戸さんの中が物欲しそうにうねり始めたのに、可愛くないことを言い続けるのが面白くなくて、ふっくら膨れた前立腺を押し込んだ。
「あ、気持ちいいとこ当たっちゃいました?」
「てめ、わざとだろ」
「でも気持ちいいでしょ? ほら」
「あ、あっ! ばか、だめだ、って!」
「じゃあ俺のこと好きって言ってください」
「っ、はぁ、……は?」
前立腺を刺激したことで少し達してしまったらしい宍戸さんの先端からは、透明な液体に混じって白い精液が零れ出た。
肩で息をしながら宍戸さんが俺を見つめている。
そしてまた口元をムズムズさせて、長太郎と俺の名前を呼んだ。
「早くゴム付けろよ」
「言われなくても付けますよ」
宍戸さんのお尻から抜いた指をシーツで拭って、コンドームを性器に付ける。
痛いくらいに勃起して早く宍戸さんの中に入りたいのに、ニヤニヤと目を細めている先輩に対抗心が湧き出てきてしまった。
「好きって言ってくれなきゃ挿れてあげませんよ」
「挿れなきゃ言ってやんねぇ」
「ずるい! そうやっていつもいじわるするのやめてください。結局さっきのだって何言うつもりだったのか教えてくれないし」
「おまえがエロいことするからだろ」
そう言われてしまうと何も言えない。
「だって宍戸さんを気持ちよくしたいんだもん! いいじゃないですか、セックスしてるときくらい俺のこと甘やかしてくださいよ!」
部屋中に俺の悲壮な訴えが響き渡る。
ぽかんと口を開けて俺を見上げていた宍戸さんは、ついに堪えきれなくなったのかおなかを抱えて笑い出した。
「ひどい。いじわるな上に笑うなんて」
傷ついた、いじけてやる。
ベッドの上で素っ裸のまま膝を抱えて体育すわりをすれば、さすがに悪いと思ったのか宍戸さんは体を起こして俺のそばに寄ってきた。
「わりぃ、そう拗ねるなって」
「俺たち好き同士だからセックスしてるんですよね? だったら好きって言ってくれるくらいいいじゃないですか」
「あぁ、好き好き。ほんとだぜ。好きだから怒んなよ」
「ちゃんと心をこめて言ってください」
「あぁ?」
気色ばんだ声を出した宍戸さんは、けれど呆れたように小さくため息をついて俺にキスをした。
膝を抱えた俺の腕を取って腰に乗り上げ、そして俺の頭を抱きかかえながら宍戸さんの中に俺のペニスを飲み込ませた。
「ん」
「入っちゃった」
「ちんこ勃起させたまま拗ねるとか、どう考えても笑えるだろ」
「だって」
「さっき言おうとしたのは、な」
ゆっくり腰を上げた宍戸さんは、俺のひたいにキスをしながら馴染ませるように腰を落とした。
「ふー……おまえがあんまり必死に俺をヨくしようとするから、『なんでそんなに余裕ねぇんだよ』って言おうとした」
ゆっくり、ゆっくり、宍戸さんは腰を上下させる。熱くて柔らかい宍戸さんの腸内が、ときたま俺を締め付けて切なく震える。
「余裕なんて、あるわけないじゃないですか」
「ん、っ、はぁっ」
「あぁ、宍戸さん、気持ちいいよ」
「ん、俺も」
「宍戸さん、好き、好き、宍戸さんとするの、気持ちよくて、俺、大好き」
宍戸さんをぎゅーっと抱きしめて、キスをする。
腕の中に閉じ込めて離したくなくなる。
セックスしているときの宍戸さんは汗ばんだ手のひらで俺を撫でて、ぴったり体をくっつけて抱きしめ返してくれる。
嬉しくて、しあわせで、大好きだと言わずにいられなくなる。
「はは」
宍戸さんは俺のおでこに頬擦りして笑った。
「おまえほんと変わりすぎ。学校にいるときと全然違う。そんなに俺のこと好きなの?」
「好きです。すごく好き」
学校できちんと制服を着て席についている俺は、もう本当の俺ではなくなってしまった。
あれは俺の日常だったけれど、宍戸さんに出会って、この人の心と体を知ってしまって、俺の日常は日常じゃなくなった。
穏やかで、分け隔てなく他人に優しくて、品行方正に過ごしてきたはずの人間は、激情に駆られ、一人の人間に固執し、淫らなことにも耽るようになってしまった。
でもそれが悪いことだとは思わない。あの頃に戻りたいとも思わない。
出会えてよかった。気持ちが通じ合えてよかった。俺にとって宍戸さんはそういう存在だ。俺をより人間らしくしてくれた、そんな存在。
「あ、んっ、ちょうたろ」
「はぁっ、っ、すご、宍戸さん、気持ちいい」
宍戸さんは俺をまっすぐ見下ろして、そして満足そうににっこり微笑んだ。
胸がきゅーっと締め付けられて、この気持ちを伝えるには言葉では足りない気がして、腰を揺すったら宍戸さんの中が狭くなった。
気持ちよさそうに表情を緩めて腰を振る宍戸さんは、俺の先っぽが宍戸さんの気持ちいいところに当たるたびに甘やかに声を上げる。
「あ、あ、ちょ、たろ、もぅ、むり」
「俺も、ね、俺も、イキそう」
きつく抱きしめ合って、キスをしながら射精した。
弾けるような快感の中、宍戸さんは舌足らずに「好きだ」と言った。
「やっぱり泊まっていきません?」
汗だくの体をシーツに投げ出して、宍戸さんの手のまめを撫でたり指を揉んだりしながら聞いてみた。
俺に好きにされながらぼーっとしていた宍戸さんは、顔だけをこちらに向けて眉根を寄せた。
「だから帰るって」
「でも宍戸さんとえっちなことしたベッドで一人で寝るのって寂しいんですよ?」
「気持ちはわからねぇでもないけど」
「だったら」
「……やっぱりだめ」
宍戸さんは俺の手を振りほどいて、ごろんと背中を向けてしまった。
その背中にぴったりくっついて後ろから抱きしめる。
「少し間がありましたね。ちょっとは考えてくれたんだ?」
「考えたけどだめ」
「本当は泊まりたいくせに」
「それでもだめ」
泊まりたいのは否定しないんだ、と宍戸さんがわずかに見せた素直さに驚いたと同時に一層可愛く見えてくる。
抱きしめる腕にそっと力をこめたら、宍戸さんは恥ずかしそうに小さく呟いた。
「長太郎とセックスしたあとに、ここでメシ食ったり、長太郎の家族と話したりすんの、なんつーか、……恥ずい」
大人になったらすぐに一人暮らしをしよう。
宍戸さんを二回目のセックスに誘いながら、心の中の『絶対叶えたい夢リスト』に太字で書き加えた。