ピクシー

初めまして。俺は鳳長太郎。人間の鳳長太郎のペンダントに住む妖精です。
ひょんなことからここで暮らすことになりました。
今までは妖精の里というところに住んでいて、毎日空を眺めたり花の蜜を吸ったりして過ごしていました。
仲のいい友達もたくさんいました。
好きな人も、いました。
それがある朝目覚めたら、このペンダントにいたのです。
このペンダントには持ち主がいました。
大きな人間です。
俺と同じように髪の毛が朝露の色をしています。
名前も同じだと知った時には驚きました。
彼はテニスというスポーツに夢中になっているようでした。
朝は早く起きてテニスラケットを振るい、夜も家を抜け出してはテニスラケットを振るいます。
そしてその傍らにはいつも同じ人間がいました。
初めてその人間を見た時、俺は心臓が蜂につつかれたのかと思いました。
俺の好きな人に瓜二つだったからです。
その人間の名前は宍戸亮と言います。
これまた驚いたことに、俺の好きな人と同じ名前でした。
ある日、人間の長太郎と宍戸さんがテニスの練習をしているとき、こっそりペンダントから抜け出してテニスコートのネットによじ登りました。ここからだと二人の練習がよく見えます。
人間の長太郎が速いボールを打ちます。
それをコートの中を素早く動いた人間の宍戸さんが打ち返します。
あまりに正確に打ち返すものだから、彼には長太郎の動きが予期できるのではないかと思ったりしましたが、どうやら違うようです。
時々打ち返すのを失敗しては悔しそうに唇を噛のです。
その仕草まで俺の好きな宍戸さんにそっくりです。
俺は寂しくてたまらなくなりました。
どうして俺一人だけこんな世界に来てしまったのだろう。
空は建物が邪魔してせまっ苦しいし、蝶々がひらひら舞っていた一面の花畑もない。
甘い蜜を分け合って美味しそうに笑ってくれたあの人はどこを探してもいない。
とても悲しくなって、涙がこぼれてきました。
そのとき、人間の長太郎がサーブに失敗して強いボールをネットに引っかけました。
まずいと思ったときにはもう遅く、ネットを伝わってきた衝撃で俺はコートの外に弾き飛ばされていました。
妖精の声は小さくて、遠くの人間には届きません。
助けてと叫んでも誰かが助けてくれるはずもなく、空中を浮遊しながら大ケガを覚悟しました。
しかし俺の体は柔らかいなにかに背中から着地し、ケガをすることはありませんでした。
柔らかいものは、ベンチの上に置かれていた、人間の宍戸さんがいつも身に着けている青い帽子でした。
命拾いをしたことにほっとして立ち上がろうとしたとき、帽子の中から声が聞こえてきました。
その声は忘れたくても忘れられない、ずっと聞きたいと願っていた声でした。
「いってぇ~な! なんだ!?」
帽子の下から這い出てきたのは、妖精の里で俺が思いを寄せていた宍戸さんでした。
「宍戸さん!? どうしてここに!?」
「!? 長太郎か!? おまえこんなとこにいたのか! ずっと探してたんだぞ!」
宍戸さんは俺が妖精の里からいなくなったことに気付き、一人で俺のことを探してくれていたというのです。
俺は嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。
大好きな宍戸さんにまた会えたからです。
「ししどさ~ん、あいたかったですぅ」
涙と鼻水でべしょべしょになりながらこの世界に来てからのことを話すと、宍戸さんは相槌を打ちながら聞いて優しく抱きしめてくれました。
宍戸さんの腕はあったかくて、背中をトントンとしてくれると不思議と心が落ち着きます。
俺は宍戸さんにキスがしたくなりました。
宍戸さんの瞳をじっと見つめていたら、宍戸さんはほっぺたを赤くしながら笑ってまぶたを閉じました。
キスをしてもいいという合図です。
唇で触れた宍戸さんの唇は、柔らかくて少しかさついていました。
宍戸さんはもう一度笑って、それから俺の頭を撫でてくれました。
涙が引っ込んで、宍戸さんと手を繋いで青い帽子の上に腰かけました。
人間の二人は俺たちに気付くことなく、まだテニスをしています。
俺は宍戸さんにどうやったら妖精の里に帰れるのかを聞きました。
けれど宍戸さんも帰る方法を知らないようです。
「どうしましょう。俺たち二人でどうやって生きていけば……」
「それなんだけどよ、おまえはあのでっかい人間のところに住んでるんだろ?」
「はい、そうですけど……?」
「だったら俺はあっちの人間のところに住む」
「えっ、あっちって、人間の宍戸さんのところですか? 俺と一緒にいてくれるんじゃないんですか?」
「だっておまえが住んでいるペンダントって小さいだろ? 俺が入ったら窮屈になっちまう」
「そうかもしれませんけど……」
「俺はあっちの人間の絆創膏に住もうと思う。ちょうどいい大きさだと思うんだ」
一緒に住めないことが悲しくなった俺の頭をまた撫でて、宍戸さんはほっぺたにキスをしました。
「むくれんなよ。あの二人って仲いいんだろ? だったら俺たちもしょっちゅう会えるじゃねぇか」
「……絶対ですよ? 人間の長太郎と宍戸さんが会うときは、絶対出てきてくださいね。そうじゃないと寂しくて死んじゃいます」
「長太郎に死なれたら、俺の方が寂しくて死んじまう」
宍戸さんの手をぎゅっと握ったら、宍戸さんも俺の手をぎゅーっと握り返してくれました。
人間の二人がテニスの練習を終えてこちらに歩いてきます。
俺たちは約束のゆびきりをしてそれぞれの人間のところに行きました。
人間の長太郎のペンダントに入るとき、宍戸さんが絆創膏に入っていくのが見えました。
薄くて住みにくそうなおうちだなと思いましたが、それは次に会うときに聞いてみようと思います。

それからどのくらいの月日が経ったのでしょう。
俺たちは未だに妖精の里への帰り方がわからないままです。
人間の二人はいつもお揃いで着ていた窮屈そうな服を着なくなって、それぞれ別々の服を着るようになりました。
二人は大学というところに通っているようです。
相変わらずテニスはするようですが、前みたいに朝から晩まで練習しているわけではありません。
起きる時間も前より遅くなりました。
それから、人間の長太郎はときどき家に帰らずに別の家に泊まるようになりました。
人間の宍戸さんの家です。
そこは人間の長太郎の家よりずっと狭くて、部屋も一つしかありません。
廊下に台所があって、狭い部屋の半分はベッドです。
妖精の宍戸さんが住んでいる絆創膏の中もこんな感じなのかなと思いました。
それでも人間の二人は楽しそうです。
人間の宍戸さんの顔が、俺の好きな宍戸さんが笑うときの顔にそっくりでドキリとしました。
どうやら、人間の長太郎と宍戸さんは俺たちと同じようにお互いに好き合っているようです。
その証拠に、俺たちがするみたいに唇をくっつけてキスをします。
そして同じベッドで眠るのです。
俺は羨ましくなって、絆創膏から出てきた宍戸さんに一緒に寝てみたいとお願いしました。
今まで人間の二人が眠るときは、俺たちもそれぞれの部屋に戻って眠っていました。
けれどもっと長い間宍戸さんと一緒に居たくて、いてもたってもいられなくなったのです。
「う~ん」
「だめですか?」
「……おまえのそういう顔に弱いんだよ」
俺がどういう顔をしているのかわかりませんが、宍戸さんは俺に一緒に寝ることを許してくれました。
人間の二人と同じベッドでは潰されてしまうかもしれないから、小さなテーブルの上にあるティッシュ箱の中に入って眠ることにしました。
ここならふかふかだし、潰されることもありません。
宍戸さんと真っ白なティッシュの布団の上でゴロゴロしてみたり、生地を引っ張って穴をあけてみたりして遊んでいるうちに、だんだん眠たくなってきました。
人間の宍戸さんが部屋の電気を消したので、俺たちも眠ることにしました。
宍戸さんが俺をぎゅっと抱きしめます。
こうやって抱きしめ合って眠るなんて人間の世界に来てからはじめてのことでした。
嬉しくて涙が出そうになります。
宍戸さんの胸に顔を押し付けて涙を我慢しようとしていたら、突然宍戸さんが体を起こしました。
「宍戸さん? 起きちゃうんですか?」
「しっ!」
宍戸さんが俺の唇に人差し指をあてます。
なんのことかわからずに黙ったら、ティッシュ箱の外から声が聞こえてきました。
『……あっ』
小さくしか聞こえませんでしたが、人間の宍戸さんの声です。
だけどいつもと少しちがいます。
息が出来ないみたいに苦しそうで、そして何度も繰り返しています。
「宍戸さん、もしかして人間の宍戸さんは、おなかでも痛いんじゃないでしょうか」
「かもしれねぇな。ったく、人間の長太郎が側にいるのになにしてんだよ」
「寝ていて気付いていないのかもしれません。ちょっと覗いてみましょうよ」
ティッシュ箱から顔を出してベッドの方に目を凝らしてみます。
暗くてよく見えませんが、ベッドには人間の宍戸さんが一人で寝ているようでした。
「あれ? 人間の長太郎がいませんね?」
「おい、よく見てみろ。人間の宍戸の足のところに長太郎がいるぞ」
「え? あれ、ほんとだ。宍戸さんのおなかに顔をくっつけて何してるんだろう?」
「あっ、顔を上げたぞ。今度は宍戸と腰をくっつけてる」
「なんか人間の宍戸さん、もっと苦しそうになってません?」
「そうだな。息がつらそうだ。大丈夫なのかな」
「心配ですね。人間の長太郎が宍戸さんのことを揺らすと苦しそうにしてます。なんで宍戸さんのことをいじめてるんだろう? いつもあんなに仲がいいのに」
人間の長太郎が宍戸さんに覆いかぶさってもぞもぞと動いています。
宍戸さんだけじゃなく長太郎もだんだん苦しそうにしてきて、俺たちはとても心配になりました。
二人が病気だったら悲しいからです。
宍戸さんと顔を見合わせます。
ティッシュ箱から出てふたりの様子を見に行った方がいい気がしてきました。
そのとき、人間の長太郎が動かなくなりました。
二人とも、テニスをしているときみたいにハーハーと苦しそうな息を吐いています。
すると、長太郎の下にいる宍戸さんの腕が動きました。
ゆっくり持ち上げた腕で、長太郎の背中を抱きしめたのです。
顔を上げた長太郎が嬉しそうに笑って宍戸さんにキスをしました。
キスをされた宍戸さんもとても嬉しそうに笑って、何度もキスをします。
「あれ? 二人とも苦しいのおさまったみたいですね」
「そうだな。なんだったんだろう?」
「なんだか人間の宍戸さん嬉しそうですね」
「人間の長太郎も嬉しそうだぜ」
「宍戸さん、俺も宍戸さんにキスしたくなりました」
「俺も」
人間の二人が何に苦しんでいたのかわからないままですが、キスをしていたということはもう大丈夫そうです。
俺たちはティッシュ箱の中に戻って抱きしめ合いました。
ふかふかな布団の上でたくさん、たくさんキスをして、俺は宍戸さんをぎゅうぎゅう抱きしめました。
宍戸さんはあったかくて、お日さまの匂いがします。
宍戸さんにくっついているとしあわせな気持ちでいっぱいになって、ふわふわで楽しくなります。
すると急に、ティッシュ箱が浮き上がりました。
人間の長太郎がティッシュ箱を持ち上げたのです。
俺は焦って宍戸さんを箱の隅に引っ張りました。
間一髪、ティッシュが引き抜かれていきます。
すみっこに逃げなかったら、ティッシュと一緒に外に放り出されてしまうところでした。
人間の長太郎はティッシュ箱をベッドの枕元に置いたようです。
さっきよりも近くから二人の声がします。
『あれ、ティッシュに穴が空いてる』
『不良品なんじゃねぇのか?』
『穴が空いてる不良品なんて聞いたことないですけど』
『当たり引いたのかもな』
『変な当たりですね』
二人の楽しそうな声が聞こえます。
俺はそっと箱から顔を出して覗いてみました。
驚いたことに、二人とも服を着ていませんでした。
生まれたままの姿で抱きしめ合って、毛布の中に潜り込みます。
そしてひそひそと『好きです』『俺も好きだぜ』と言葉を交わして眠りにつきました。
「二人とも寝たか?」
ひょっこり顔を出した宍戸さんが言います。
「宍戸さん」
「ん?」
「人間は大好きな人と裸で眠るみたいです」
「裸で? 寒くねぇのか?」
「寒いから、あんな風に抱きしめ合って眠るんでしょうか」
「そっか、くっついてたら寒くねぇもんな」
「宍戸さん」
「なんだ?」
「俺も宍戸さんと裸になってだっこしてみたいです」
「へ? 裸で?」
「ダメですか?」
「……だからおまえのそういう顔に弱いんだって」
宍戸さんは裸になって俺と抱きしめ合って眠ってくれました。
服を着ている時よりも宍戸さんが近くにいるようで、あったかくて、もっといい匂いがします。
けれど、どうしてでしょう。
おなかの下の方がむずむずするのです。
なんだか落ち着かなくて、痒いとも痛いとも違う、変な感覚です。
もしかしたら人間はみんなこのむずむずが起こるから、一緒に擦りつけあって治そうとしているのかもしれません。
今度、人間の長太郎が宍戸さんの家に泊まりにきたら、また二人のことを覗いてみようと思います。
きっと、むずむずを治す方法がわかるはずです。
そうしたら、宍戸さんと一緒にまねっこしてみようとおもいます。
宍戸さんも、人間の宍戸さんみたいに嬉しそうに笑ってくれたら嬉しいです。