いっしょに朝ごはん

うちに宍戸さんが泊まりに来た日の俺の決めごと。
次の朝には和食の朝ごはんを作ること。

いつもより早めの時間に目覚ましをかけておいた俺は、まだ眠っている宍戸さんを起こさないように、そーっと寝室を出た。
本当は、うつ伏せている宍戸さんの肩甲骨にキスをして、宍戸さんの目が覚めるまで腰のくぼみを撫でていたいけれど我慢する。
俺には宍戸さんが起きてくるまでにやっておかなければならないことが沢山あるからだ。
顔を洗って着替えたら、引っ越し祝いに宍戸さんにもらったデニム地のエプロンをしてキッチンに立つ。
まずはご飯を炊く準備。
米は二合分。
乾燥した米は初めに注がれた水を一番吸収しやすいから、注ぐのは水道水ではなくて買い置きしてある天然水。
しっかりと研いだら炊飯器にセットしてスイッチを入れる。入れっぱなしにしておける浸水機能つきは大助かりだ。
さて、ご飯の準備はこれでよし。
キッチンの棚から雪平鍋を取り出してコンロに置く。
水を注いで乾燥昆布を浮かべたら、出汁が出るまでしばらくそのままにしておく。これは味噌汁用。
この間におかずを作り始めよう。
冷蔵庫の野菜室を開けて、昨日買ってきた自然薯を取り出す。
最近は一人暮らし用なのか、まるまる一本ではなく短めに切られたものが真空パックされて売られている。
これなら腐らせずに食べきれる。
封を切って取り出した自然薯を水洗いし、使う分だけ皮をむいたらすり鉢ですってとろろにする。
だし汁を入れてもいいんだけど、宍戸さんは味付けしないとろろをご飯にかけて食べるのが好きだか、このまま小鉢二つに取り分けて冷蔵庫で冷やしておく。
簡単だけど、これで一品完成。
すり鉢を洗って、次は卵焼きにとりかかる。
ボウルに卵と砂糖を溶いたら、みりんと塩も少々加える。
宍戸さんは甘い卵焼きが好きなのだ。
出汁巻き卵も好きだけど、甘いとなんだか嬉しくなるらしい。
子どもっぽくて微笑ましいなと思ったけれど、もちろん口には出していない。
だってそんなことを言ったら、二度と俺の前で甘い卵焼きを食べてくれなくなるかもしれないじゃないか。
宍戸さんがおいしいと感じるものをおいしく食べているところを見るのが好きだから、俺は余計なことは言わずに頭の中の『宍戸さん好物リスト』に甘い卵焼きを書き加えるだけでいいのだ。
卵焼き用のフライパンを熱して油を引いたら、卵液を薄く焼いて丸める。
空いたところに卵液を追加して丸め、それを繰り返す。
焦がさずにきれいなうずを作れるようになるまで、それはそれは血のにじむような特訓をした。
宍戸さんに焦げて黒い線のうず巻きが出来た卵焼きを食べさせるわけにはいかない。
努力の甲斐あって、今では均一な薄さの綺麗な卵焼きを作れるようになった。
焼きあがったら皿に移しておく。これは食卓に出す前に切ろう。
そろそろ昆布の様子を見なくては。
乾燥して硬かった昆布が水で戻って大きくなっている。
コンロの火をつけて、沸騰する直前まで弱火で熱する。一気に沸騰させてはせっかくの出汁がきちんと出ない。
卵焼きに使った道具を洗って片付け終わったころ、ちょうど鍋が沸騰してきた。
昆布を鍋から取り出して、そのまましっかり沸騰させ火を止める。
戸棚から取り出した鰹節を入れたら強火で沸騰させ、弱火にして数分煮出す。
火を止めたらキッチンペーパーを敷いたザルで濾して、お出汁の出来上がり。
普段は市販の顆粒出汁で簡単に済ませてしまうんだけど、宍戸さんに出す味噌汁は特別だから。
そうだ、アジの干物も買ってあったんだった。
炊飯器を見ると、炊きあがりまであと十五分と表示が出ている。
冷蔵しておいたアジの開きを二枚、焦げ付きを防ぐ加工がしてあるアルミホイルを敷いたフライパンで焼き上げる。
フライパンを使うのは、グリルで焼くよりも焼き加減が見やすいからだ。
干物はふっくら焼くのがコツだって魚屋さんで教えてもらったことがある。グリルで焼くとどのくらい火が通ってるのがわからなくて何度も開け閉めしてしまうと相談したら、フライパンで焼く方法をアドバイスしてくれた。
やっぱりプロに聞くのが一番いい。
火が通ってふっくらしたアジの干物を四角い皿に盛りつける。アルミホイルを敷いていたので後片付けも楽ちんだ。
お出汁を火にかけて、切った茄子ときのこを入れて火を通す。
ここで炊飯器がピーッと鳴った。
ご飯が炊けたようだ。
鍋の火を止めて、テーブルにおかずを並べ始める。
アジの干物、卵焼き、とろろ。
歯ごたえが足りない気がしたから、シンクの下の棚に置いてあるぬか床から出したきゅうりと大根を切って並べた。
おひつに移したご飯と茶碗もテーブルに並べて、あとは味噌汁だけ。これは宍戸さんが起きてから味噌を入れる。
よし、とテーブルの上のものを指さし確認し、エプロンを外して寝室に向かったら宍戸さんはまだうつ伏せのまま眠っていた。
「宍戸さん、朝ですよ」
「んー……?」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
ごろんと仰向けになった宍戸さんのひたいに口づける。
シーツのあとがついているほっぺたにもキスを一つ。
「おはよ……おまえ、いっつも起きんの早くね……?」
「いつもじゃないですよ。宍戸さんが泊まりに来てくれるときだけ」
「そっか? ん~……なんかうまそうな匂い、する」
「ちょうど朝ごはんが出来上がったところです。あったかいうちにどうぞ」
ゆっくりと伸ばされた腕に呼ばれて宍戸さんを抱きしめる。
剥き出しの肌から、ゆうべの色濃い記憶を呼び起こすような宍戸さんの香りが立ちのぼり俺を包んだ。
「腹減ってきた」
「昨日いっぱい動きましたもんね」
「誰のせいだよ」
「さぁ、誰のせいでしょう」
抱き起こした宍戸さんはひとつ大きなあくびをしてまぶたを擦った。
「着替え手伝います?」
「いらねぇよ。顔洗ってから行くから」
寝ぼけ眼の宍戸さんにキスをして寝室を出る。
正直に言うと、蒸したタオルで肌を清めて、服を着せて、そういう身支度を全部俺にさせてほしい。
けれど、お願いしたところで宍戸さんがさせてくれるわけがない。
だから俺は味噌を溶かしながら宍戸さんを待つのだ。
しばらくして、さっぱりした顔の宍戸さんがダイニングへやってくる。
よそった味噌汁をテーブルに並べて、ご飯を盛る。
お茶を入れたら、二人で「いただきます」と手を合わせた。
「今日もすげぇ朝メシだな」
「そうですか? 普通の和食ですよ」
「全部長太郎が作ったんだろ? 俺こんなの作れねぇもん」
すごいすごいと言いながら、宍戸さんは俺の作った朝ごはんを平らげていく。
宍戸さんは綺麗な箸使いでアジの骨を上手に外し、卵焼きは一口で頬張り、そして静かに味噌汁を飲む。
宍戸さんの箸は止まらない。
とろろをかけたご飯はあっという間に無くなって、二杯目のおかわりをした。
「ぬか漬けってあまり好きじゃないんだけど、長太郎んちで食うぬか漬けは食えるんだよなぁ。どこで買ってんの? 俺、これ好きだわ」
宍戸さんは俺がぬか床から手作りしていることを知らない。
漬けている期間や下処理も宍戸さんの好みに合うように工夫しているなんて、一切知らないし知られなくてもいい。
「宍戸さんがたくさん食べてくれて嬉しいです」
「だってうまいもん。一番好きなのは味噌汁かな」
「本当ですか?」
「うん。毎日飲みたいくらい」
宍戸さんの言葉がリフレインする。
きっと、今のは他意のない素直なただの褒め言葉だ。
だけど俺にとっては何よりも嬉しい言葉だった。
だって、俺がこんなに丁寧に朝ごはんを作るのは、その言葉のためなのだから。

あれはちょうど一年前。
宍戸さんと温泉旅行に行った。
二人きりで温泉旅館に泊まるのは初めてで、ずっとそわそわはしゃぎっぱなしの俺とは対照的に、宍戸さんは落ち着いた物腰で過ごしていた。
聞くと、小さいころから家族旅行で旅館に泊まることが多かったそうだ。
家族とは海外旅行ばかりだった俺は旅館での作法をなにも知らなくて、浴衣で出歩いていい場所や仲居さんが布団を敷きにきてくれることなど、宍戸さんが全部教えてくれた。
宍戸さんは温泉旅館が好きなんだ。
翌朝、朝ご飯を食べている時、宍戸さんは小鉢がたくさん並んだお膳を嬉しそうに見つめて、毎日こんな和食が出てくるなら一生ここに住みてぇな、って言った。
それが、俺が朝ごはんを作るようになった理由。
もしもその旅館の朝ごはんがフレンチトーストだったら、俺はフレンチトーストの作り方を練習しただろうし、中華粥だったら中華粥の作り方を練習しただろう。
けれど宍戸さんは、毎朝美味しい和食を食べたいと言ったから。
俺は、俺の部屋が宍戸さんにとって一生住みたい部屋になるように、時間をかけて美味しい和食の朝ごはんを作る。
そのためなら努力を惜しまない。
たくさん勉強して、たくさん練習してきたし、これからだってしていくつもりだ。
だって昔から言うじゃない。
好きな男を手放したくないのなら、胃袋を掴めって。

「はー、食った食った。ごちそうさまでした」
「おそまつ様でした。宍戸さんは残さず食べてくれるから作った甲斐がありますよ」
「だってうめぇもん、おまえのメシ」
「嬉しいな。ありがとうございます」
宍戸さんは俺の作った朝ごはんで膨れたおなかをさすった。
「デザートもあるんですけど、まだ入ります?」
「まじで? 全然入る」
「よかった。待っててください」
冷やしておいた梨を切りにキッチンに立つ。
くだものの皮をナイフできれいに剥けるようになったのだって、宍戸さんのため。
宍戸さんのおなかを毎日いっぱいにしてあげられる日が来ることを祈りながら剥いた梨の皮は、途切れることなく細く長くまな板の上に積もっていった。