エマージェンス・ピリオド DAY6

朝から長太郎が離れない。
顔を洗う時も軽く部屋の掃除をしている間も、俺の後ろをついてまわってはくっついてばかりだ。
遅めの昼食を作るためにキッチンに立ったのだが、背中から抱きしめてくるので野菜を切る手が止まってしまった。
「おい、長太郎。そんなにひっついたら危ねぇって」
持っている包丁を一旦まな板に置いて、腹のあたりで交差する手の甲を撫でてやる。
すると長太郎は俺の首筋に顔をうずめて、鼻先をぐりぐりと擦らせた。
「あはは、くすぐってぇよ」
ふわふわした髪の毛が頬にあたってこそばゆい。
長太郎の腕の中で逃げ腰になったら、離すまいとするのか更に強い力で抱きしめられた。
「どうした? 昨日までの俺みたいになってんじゃねぇか」
ヒートが始まってからの数日間、隙あらば触れたがってベッドに引きずり込もうとするので、随分と長太郎を困らせた。
あの感覚をどう説明したらいいのだろう。
とにかく、長太郎の体温を感じていないと落ち着かないのだ。
手の届くところにこいつがいないと呼吸がうまく出来なくなる。
触れられて、撫でられて、抱きしめられないと、ジリジリと焦る気持ちばかりがみぞおちの奥の方で膨れ上がっていく。
俺の中の大事なものを手放しているような不安がまとわりついて、気付けば体が勝手に巣を作りなおしては俺を守っていた。
これもきっとΩの本能ってやつなんだろう。
番である長太郎と離れることは、イコール半身を手放すことだ。
ヒートが俺の本能を剥き出しにして、より一層激しく求めるようになってしまったのかもしれない。
「だって」
「ん?」
ぼそぼそ呟く長太郎の息が肩口にあたって温かい。
ゆるめられた腕の中で振り向くと、長太郎は拗ねた顔で俺を見下ろしていた。
「急に俺離れしちゃうから」
「は? 長太郎離れ?」
「ずっと俺にべったりだったのに、今日起きたらいつもの宍戸さんに戻ってるんだもん」
ヒートになって六日目だ。
さすがに落ち着いてきたのか、今朝は昨日までより頭がすっきりしていた。
五日間ものあいだ長太郎に家のことも俺のことも全部任せっきりだったから、まだ完全に本調子というわけではないけれど、今日こそは体が落ち着いているうちに家事を済ませてしまおうと思った。
それで朝から動き回っていたわけだけど、そんな俺の姿が長太郎には面白くなかったようだ。
「おまえなぁ。それで拗ねてんのか」
「拗ねたくもなりますよ。あんなに長太郎長太郎って俺のこと離そうとしなかったのに、今日は一度も宍戸さんからキスしてくれてない。抱きついてもきてくれない。起きて何時間も経ってるのに、一回もセックスしてない!」
俺をきつく抱きしめながら、長太郎は不満を漏らす。
確かに、昨日までと比べたら俺の態度はそっけなくなったかもしれない。
といってもヒートじゃないときの俺に戻っただけなのだが、ただでさえ俺と乳繰り合うのが好きな長太郎のことだ。
ヒートを起こしている時の俺は、自分で言うのもなんだが大層可愛らしく見えていたことだろうし、突然好きなヤツがつれなくなってしまったように感じるのだろう。
要は、俺にもっと甘えられたいのだ。
「なんだよ、ヒート起こしてない俺はいやだってのかよ」
「そうじゃないんだってば。宍戸さんにべたべたされたいの。もーわかってるくせに。だいたい、宍戸さんが普段甘えてくれなさすぎるんですよ。俺はいつだって宍戸さんに甘えられたいのに」
「はいはい、しょうがねぇなぁ」
両手で長太郎の頬を包んでキスをする。首に腕を回して、またキスをして、それからぎゅっと抱きしめた。
「拗ねてるおまえも好きだぞ」
「わかってますよ。ひとこと余計だけど」
「機嫌直せよ。それにな、油断してたら痛い目みるからな?」
「なんですかそれ」 
「まだおさまってねぇんだ。多分もうちょっとしたらまた来るぞ」
「ヒートのことですか? わかるの?」
「なんとなくだけど」
ヒートがいつ起こるかははっきりとはわからない。
けれどまだ腹の奥の方、男のΩにしかない小さな子宮のあるあたりから、燻る疼きみたいなものがじわじわと広がりはじめている。
この数日で何度も味わった衝動の出どころがそこだという曖昧な確信があって、俺の予想は大方当たる予感がしていた。
「だから、その前にメシ食っちまおうぜ」
「……わかりましたよ。ふぅ、ごめんなさい。子どもっぽいこといっぱい言っちゃった」
「今更だろ。それに、ヒートんときの俺の方がもっと言ってた」
「へへ、そうでしたね。可愛かったなぁ」
発情する俺を思い出しているんだろう。
にまにまと口元が締まらない長太郎と分担して昼飯づくりは早く済んだ。焼きそばと冷ややっことわかめのスープ。冷蔵庫の食材もそろそろ底をつきそうだ。
今回はたまたま買い出しした直後にヒートが来たし食事自体あまり取らなかったためになんとかなったが、次回家に籠るときは前もって準備をしたほうがよさそうだ。
「こうやってごはん食べるのってすごく久しぶりな気がしますね」
ダイニングテーブルに向かい合い、いただきますと手を合わせる。
「だな。でも、ベッドで食わせてもらうのも悪くなかったぜ」
「ベッドの上で裸のまま『あーん』する宍戸さん、とっても可愛かったなぁ。なんかこう、行儀悪いのはわかってるんだけど無邪気っていうか。俺の作ったごはんをおいしそうに食べてくれてほっとするんだけど、でもこのベッドで宍戸さんといっぱいしたなぁって思い出しちゃうとムラムラしちゃったりして」
「おまえ、俺に食わせながら、そんなこと考えてたのかよ」
「ずっとじゃないですよ! それに、全部俺に委ねてくれてるのって、信頼されてるなぁって感じがするじゃないですか。それが嬉しかったんですよねぇ」
「信頼ねぇ」
「してくれてるでしょ?」
「そりゃあもう」
それは当たり前のように俺の中にある。
ダブルスパートナーとしての信頼。恋人としての信頼。そして番としての信頼。俺たちの間には、形は変化してきたけれど目には見えない絆がずっと存在し続けてきた。
あまりにも当たり前すぎて、番になってさほど月日が経ったわけではないのに長太郎と番わなかった自分を想像できないほどだ。
Ωというバースは、生活する上では不便なことがあまりにも多い。
けれど、その中でも一番厄介なヒートだって、長太郎が側にいれば怖くはなかった。
不思議だ。焦燥も不安も、長太郎の匂いに包まれれば一瞬で吹き飛んでしまう。
巣の中で長太郎に抱きしめられると、ヒートで浮かされた頭と心に滔々と優しい気持ちが流れ込んでくる。
半身ってことなんだよな、きっと。
長太郎は俺の半身で、だから離れてはいられなくなるんだ。
「番って、うなじを噛まれたらそれで終わりじゃないんだな」
ヒートを起こすΩともろに影響されるαがどんなことをして過ごすのかなんて、実際に自分の身に起こらなければ知らないままだった。
俺は巣の中がどれほど居心地いいのかを知ったし、長太郎と巣ごもりすることでよりお互いが近づいたと思っている。ヒートでさらけ出された本能をあれだけぶつけあえば当然か。
それに、ヒートで何もできなくなって俺がこうやって元気でいられるのは、ずっと世話してくれていた長太郎のおかげだ。
しみじみと呟いてスープを啜り一息ついて顔を上げれば、向かいの席の長太郎が口をぽかんと開けて俺を見つめていた。
「? なんだ?」
「わ……びっくりした。俺も宍戸さんと同じことを思っていました」
「同じこと?」
「うなじに消えない傷痕ができただけでは番にはなれないんだって思ったんです。想い合って、支え合って、そうやって時間を掛けて番になっていくのかなって。医学的にはうなじを噛んだら番ってことになるのかもしれませんけど、もっと精神的な繋がりというか、人と人の結びつきなんだろうなって」
俺が今回のヒートで感じたことを、長太郎も同じように感じていたらしい。
なんだか胸が熱くなる。
今すぐ長太郎をきつく抱きしめたくなる。
たまらず席を立とうとしたときふわっと香ってきたのは、華やかな長太郎のフェロモンだった。
「あれ、もしかして、俺のフェロモン出てる?」
長太郎のフェロモンは俺のフェロモンに呼応して放たれる。
花の香りがしたということは、俺も蜜の香りを出しているということだ。
「も~~……いっぱい出てますよぉ!」
箸を置いて立ち上がった長太郎は、俺の手を引いて歩き出した。
性急な足取り。握られた手のひらが熱い。
振り返ることなくまっすぐ寝室に向かう長太郎のうなじにうっすら汗が浮かんでいる。
俺のヒートにあてられ発情している番の香りが、どんどん濃くなっていく。
「甘い匂い。今日初めてだ」
ソース味のキスをしながら寝室のドアを開け、シャツを脱ぎながらベッドに押し倒された。
欲情を湛えた瞳に見つめられると、体の芯が熱くなって頭の中が蕩けていく。
こうなると、もう何も考えられなくなるのだ。
だからさっさと諦めた。
そして長太郎のことだけを感じることにした。
服を脱がされている間も待ちきれなくて長太郎に抱きついてしまう。
腕や足を絡められては脱がせにくいだろうに、長太郎は俺を宥めながら慣れた手つきであっという間に裸にした。
舌を絡めて、香りを吸い込んで、長太郎のやわらかい髪を混ぜこむ。
キスをしながら器用に服を脱いだ長太郎に両足を開かれて、濡れたうしろを舐るように見つめられた。
「さっきまで、俺たちご飯食べてたんですよ?」
「うん」
「ちょっと真面目な話もしてた」
「うん」
「なのに、もうこんなに」
「うん」
「宍戸さん、俺のこと欲しいでしょ」
「うん、欲しい。なぁ、長太郎、気持ちよくして」
ぶわっと濃くなった花の香りをまとった長太郎は一瞬眉根を寄せた。
深く息を吐いて覆いかぶさってきたかと思いきや、サイドテーブルに腕を伸ばしてコンドームを手にした。
装着する指先をじっと見つめる。
完全に勃ち上がって血管が浮き出る性器が薄いゴム膜で覆われていくのを、もったいないと感じてしまうのはΩの性だ。
吐き出される精液を全てこの腹におさめて、中も外も長太郎でいっぱいになることが俺にとっての自然であるような気がしてくる。
けれど長太郎が俺の体を想ってくれていることもわかっているから、挿入する合図の代わりに向けられた視線に笑って返した。
「あ、あぁ……んっ」
「ゆっくり入れるからね。気持ちいい?」
「ん、硬いの、入ってくる」
「もう少しで全部入りそう。いっぱいしたから、宍戸さんはわかるよね」
長太郎は俺の下腹に手を押し当てた。
ゆっくり入ってくるものの形は腹の中で覚えている。
狭い道をこじ開けて、前立腺のふくらみを擦って、あと少しで長太郎と深く繋がれる。
背骨をゾクゾクと震えが走って、意識したわけじゃないのに腸壁がきゅんっと締まった。
「ふふ、まだ入れただけなのに」
「っ、だっ、て」
「ねぇ、宍戸さん。このまま宍戸さんのこと可愛がってもいい?」
「え? なに」
揺さぶられる衝撃を待っていた俺に唇を合わせてきた長太郎は、舌で俺の口の中をくすぐりながら胸に手を這わせた。
熱い指先に、敏感になった乳首を押しつぶされて体が跳ねる。
乳頭を触れるか触れないかのささやかな強さでさすられたら、その指を追うように胸を突き出してしまう。
もどかしくて、もっと触ってほしくて長太郎の舌に吸い付いた。
その瞬間、爪の先で一度だけ引っ掻かれた。
「んっ! や、あぁ」
ジンと甘い痛みが広がって、つられるように腹の中が疼いたとおもったら尿道を精液がせりあがる感覚に襲われ、軽く達してしまった。
「ちょっとイッちゃった?」
唇を合わせたまま長太郎が囁く。
小さく頷いて、もっと欲しいとねだるように舌を絡めた。
だけど待っても二度目の刺激は来てくれない。
長太郎は俺の乳首を押しつぶしたまま指先を動かし始めた。
ゆっくりこねられているだけなのに腰が揺れてしまうのを止められない。
流れてくる唾液を飲み込みながら喉の奥で喘ぐ俺を、長太郎は目を細めて見つめていた。
「物足りない顔してる」
「んぅ、ちょた、もっと」
「もっと、どうしてほしいの?」
「きもちよく、して。もっと、ひっかいて」
「引っ掻いたら痛くなっちゃうでしょ?」
「でも、きもちい、から」
「だーめ。あとでヒリヒリするのいやだよね?」
「んんぅ」
もうこんなに昂った体を持て余しているのにひどい。
焦れて涙が出そうになる。
悔しくて、うまく力の入らない腰を突き上げて抗議すれば、長太郎のペニスが腹の中で震えた。
「怒らないで。ね? いっぱい舐めてあげるから」
唇だけじゃなく、ひたい、頬、首筋にキスを落として、長太郎は俺の体を下っていく。
鎖骨に歯を立て、胸の間に舌を這わせてから、弄られて感度の増した乳首を唇で挟んだ。
「ふっ、んぅ」
小さな隆起を押しつぶす舌の熱さが俺をたまらなくさせる。
ぴちゃぴちゃと音を立てて、長太郎は丁寧にそこを舐めしゃぶった。
ときたま歯先で優しく噛まれると、甘い刺激がスイッチであるかのように精液を吐き出してしまう。
長太郎はどろどろになった俺の亀頭を手で包み込んで、優しく上下させた。
「あっ、あぁ、どっちも、だめ」
「おっぱいとちんちん、気持ちいい?」
「いい、いい、また、っ」
「またイッちゃいそう?」
「ん、っ!」
「ふふ、また出ちゃいましたね。でももっと、ね?」
「あぁ、動いちゃ、…っ! まだ、イッてる、のにぃ!」
力の入らない足を抱えて、長太郎は俺のペニスを扱きながら腰を振り始めた。
繋がっているところと長太郎に握られているところから、俺の精液と膣液の粘っこい水音が部屋に響いている。
何度も何度も、腹の一番奥が震えて長太郎を締め付けた。
どこが気持ちいいのか、俺の形があやふやになってしまうほどの快感が体の中で暴れてわけがわからなくなっていく。
縋れる人は長太郎しかいない。
腕を伸ばせば抱きしめてくれる長太郎の背中にしがみついて、俺は呼吸のかわりに喘ぐことしかできなかった。

やっとヒートが落ち着いた頃には、部屋は差し込む夕日でオレンジ色になっていた。
シーツの上には精液の詰まったコンドームがいくつも点々としている。
汗だくの体を起こして、長太郎に寄りかかった。
その背中に俺がつけた引っ掻き傷を見つけたら、なんだか笑えてきてしまった。
「どうしました?」
照れくさそうにコンドームを拾い集める長太郎が振り向く。
しつこいくらいに俺を絶頂に導いた男の顔はもうそこにはなかった。
「溺れてんなぁと思って」
「なにに?」
わけがわからず首を傾げる長太郎にキスをして、おまえにだよと、もう一度笑った。