狼の続きです
あの満月の夜。初めて長太郎と深く繋がった夜。
窓から差し込む淡い光をギラつく瞳に反射させて、長太郎は俺を見た。
押し付けられ揺さぶられるたびに床に擦れた背中も、噛みつかれた首も、爪が食い込むほど強く掴まれた足も、強引に拓かれた腹の中も、体中どこもかしこもミシミシと痛くて、なんでこんなにキツい思いをしてセックスをしなくちゃならないんだと何度も長太郎から逃れようとした。
けれど体を離そうとするたびに、信じられないほどの強い力で俺を引きずり戻した長太郎は、まるで獣のように息を荒げて俺を貫いた。
何度も、何度も、深く、強く。
そのうち、痛みがなんなのかさえわからなくなっていった。防衛本能みたいなものかもしれないが、頭の片隅で、麻痺していく感覚をどこか他人事のように呆然と見守る自分がいた。突然豹変した長太郎に抵抗する気力も失せ、ただひたすらに受け止めるだけの時間が過ぎていく中、ふと見上げれば、俺に降り落ちてくる長太郎の汗と涎に涙が混じりはじめた。
銀色の獣は俺を穿ちながら泣いていた。
そのときようやく俺は、俺の中で暴れているものが得体のしれない生き物ではなく、俺の好きな長太郎なのだということを思い出せた。
俺を手酷く扱う生き物を長太郎ではない誰かだと信じたかったのかもしれない。そうやって、この数十分を逃避しようとしていた。そんなわけはないのに。目の前の男は、長太郎以外の何者でもないというのに。
「ちょうたろ、う、っ」
名前を呼んでも答えない。長太郎はただ低い唸り声をときたま漏らしながら、腰を振り続けていた。まるでなにか抗えないものに突き動かされているかのようだった。苦しそうに、けれど止めることはできない衝動に駆られる長太郎を見つめながら、俺はもう長太郎の名を呼び続けることしかできなかった。
その後の記憶はない。
気が付けば部屋は太陽の光で明るく、俺は一人、裸のまま、床ではなくベッドにいた。
長太郎を呼ぼうとして、喉の違和感に咳払いする。喘いだり叫んだりした記憶はないのだけれど、記憶がないだけで実際には声を上げてわめいていたのかもしれない。覚えているのは、ひたすらに長太郎の名を口にしていたことだけだ。そうしないと本当に長太郎が長太郎ではない何かになってしまいそうな気がしていた。
長太郎はどこにいったんだろう。このベッドは長太郎のものなのに、右隣にも左隣にもその体温はない。
ふと見渡すと、部屋の隅っこに頭から毛布をかぶったかたまりがいた。
すねと足の先だけが見えている。長太郎だ。
なんであんなところに、寝転がるでもなく膝を抱えて丸くなっているんだ。まさかあの姿勢で眠ったんじゃないだろうな。ここからだいぶ遠い。迎えにいきたいところだが、体中どこもかしこも痛くて起き上がるのがしんどい。けれど呼ぼうにもかすれた声しか出そうにないから、さすがに悪いとは思ったが枕を投げつけてやった。
クリーンヒット。長太郎のかたまりにぼふんと当たる。
枕の衝撃で目覚めたのか、長太郎はガバッと毛布を剥ぎ取って俺を見た。
「あ、」
小さく漏れた長太郎の動揺の声。離れててもはっきりわかるほど目の周りを朱く腫らして、長太郎は瞳を揺らした。
わかる。おまえがまずなにを言いたいのか、言わなければならないのか。そして俺がどんな言葉をおまえに浴びせるのか、罵倒を、罰を、待っているってこともわかってる。
だけど俺は、なにより、おまえが俺を一人にさせていることが許せなかった。
「長太郎」
「は、い」
衣擦れのような声が二人分。それでも伝わるには十分だった。
「来い」
「……はい」
今にも泣きそうな顔の長太郎が、四つん這いでベッドに近寄ってきた。そして硬いフローリングに正座して、殴ってくださいと言わんばかりに頭を垂れる。殴られても仕方のないことをした。だからまずは思う存分に。銀色のふわふわした頭が、震えながらそう言っている。
腕を伸ばして銀色の頭に触れると、長太郎は小さく肩を揺らした。撫でてやると、肩だけではなく背中を震わせて嗚咽を漏らした。
「ごめ、なさい、ししどさ、ごめんなさい」
撫でれば撫でるほど、長太郎は顔を上げずに肩を震わせる。
「本当に、本当に、ごめんなさい」
「わかったから」
「でも、俺、宍戸さんに酷いことを……絶対、しちゃいけないことだったのに」
悲痛なくらい弱々しい声が、俺にごめんなさいと繰り返す。
そうじゃねぇんだよ。乱暴なセックスに怒ってるんじゃねぇんだ。かといって許したわけでもないけれど、ただ理由が知りたいだけなんだ。おまえがあんな風になるなんて、よっぽどのことがなけりゃあり得ないことだろ。してしまったことは仕方がない。だからきちんと、おまえの言葉で聞かせてほしいだけだ。昨日のことと、おまえのことと、そして涙のわけを。
「俺の、こと……」
「ああ。おまえのこと」
知りたいと言った俺を、長太郎はようやく顔を上げて、見つめた。腫れていた目元がさらに真っ赤になっている。その奥で涙に溺れている瞳には、昨日の夜月明かりを反射させていた冷たさはもうなかった。
「昨日のおまえはおまえじゃないみたいだった」
「それは、半分当たって、ます」
「半分?」
「信じてもらえないと思うんですけど」
そう前置きした長太郎に聞かされた話は、そう易々と信じられるものではなかった。
鳳家は代々、狼憑きの家系なのだという。
狼男の伝承のごとく、満月の夜は血がざわめき豹変したように凶暴になり、人を襲い犯してしまう。そのトリガーが月の光であるため、この家の窓はすべて分厚い遮光カーテンで覆われているらしい。同じ血を受け継いでいても、その習性が色濃く出る者とそうでない者がいて、家族には月の光に反応しない人間もいるそうだ。だが、長太郎はこの何代かの人間の中でも一番濃く狼憑きの色がでてしまったという。
「気を付けていたんです。今までだって、満月の夜には宍戸さんに会わないようにして」
「でも昨日は確か」
「……満月でした」
「わかってて、おまえ」
「大丈夫だと思ったんです。カーテンを閉じていれば、大丈夫って……宍戸さんと、離れたくなくて、それで……浅はかでした。こんなに、傷つけて」
長太郎はもう一度、ごめんなさいと涙を流した。
離れたくなくて、と言った長太郎の気持ちは痛いほど理解できた。体に触れ合うことを覚えたての俺たちだったのだ。もっと触れてみたくて長太郎の部屋に泊まったのは俺だ。そして、知らなかったとはいえカーテンを開けたのも、俺。
『オオカミなんです、俺』
屋上で昼メシを食いながら長太郎が言っていたことはこのことだったのか。あのとき、長太郎は打ち明けようとしていたのだろうか。体を繋げる関係になった俺に、こいつの一番の秘密を。
「なぁ、もう泣くな」
痛みに軋む体を起こして、涙で濡れそぼる長太郎の頬に触れる。
「わかったよ。おまえの事情も、俺がこんなことになった理由も。だからもう泣き止め」
「でも、でも、俺、取り返しがつかないことを」
「なんの取り返しだよ。無理やり突っ込んだことか? そんなの、いつか全部突っ込まれる覚悟はしてたしよ、早いか遅いかだけのことじゃん」
「でも、あんな、無理やり」
「やっちまったことは戻らねぇ。すげぇ痛かったし、今もいてぇし、治ったら一度おまえのこと殴っちまうかもしれねぇけど、でも、うん、いいんだ」
「でも」
「いいんだよ。だって、おまえ泣いてたじゃん。俺に襲い掛かりながら、泣いてた」
血筋のせいで俺を乱暴に貫いている間、長太郎はきっと、抗っていた。俺に降り注いだ涙はその証明だ。長太郎がしたことは許せることではないのかもしれないけれど、だからといって俺が抱いている気持ちがなくなってしまうことはない。
俺は長太郎のことが好きで、長太郎も、俺のことが好きなのだ。
「長太郎、来い」
腕を広げて、長太郎を呼ぶ。
歯型や爪痕や鬱血痕が散らばる俺の体を見て、長太郎は痛々しく唇を噛んだ。
「いいから、来い」
躊躇う長太郎を、待つ。
俺をこれ以上一人にするな。
恐る恐るベッドに乗り上げてきた長太郎を抱きしめた。
「宍戸、さん」
「もっと、ぎゅって、しろ」
俺を抱きしめた長太郎の、すすり泣く声が耳元に響く。
もともと痛みには強いんだ。
だからもう少しきつく抱きしめてくれたっていいんだぜ。
これが、俺と長太郎の初めてのセックスの話。
振り返ってみれば、大したことはない。よくある失敗談だな。若い頃は加減を知らないこともあるもんだ。
今でも満月の夜は体中あちこちに歯型をつけられるけど、まぁ、その、そういうプレイだと思えば楽しめるというか、それにほら、今では長太郎も自分をコントロールできるようになったし、俺もいろいろ慣れたし、その、えっと、あれだ、雨降って地固まるってやつだ。
え? どんなふうにしてるかって?
そうだな、次の満月が来たら教えてやるよ。
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