かたちあるもの

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本日はお日柄も良く、真っ青な晴天に恵まれ、寒くもなく暑くもなく。
ジューンブライドには少し早い五月晴れ。宍戸さんと俺は共通の友人の結婚式に参列した。
同い年の新郎とは大学時代に出会った。内部進学組だった俺たちとは違い外部から入学してきた彼はテニスの経験者ということもあって、テニスを一緒に練習をすることがきっかけで親しくなった。その流れで宍戸さんとも仲良くなった彼は気さくな性格で友人もたくさんいる。このあとのウェディングパーティーは立食形式とのことで、彼は大勢の友人知人を招待しているらしい。
高原の教会で厳かに挙げられた式は滞りなく進み、先ほどフラワーシャワーで新郎新婦を見送ったところだ。色とりどりの花びらが空に舞い純白のドレスを引き立たせる様は、華やかな中に素朴な美しさを演出していた。
「ウェディングドレス、とっても綺麗でしたね」
「だな」
「でも、今日の宍戸さんもとってもかっこいいです」
「……ばーか」
滅多に着ないスリーピース。紺色のダークスーツにシルバーのチーフが映える。今朝、支度をしている時にカフスを留める仕草が絵になり過ぎていて眩暈がした。細身に見えてしっかりと筋肉を纏っている宍戸さんの体は、チェストが張ってウエストは締まって、フォーマルな服装がよく似合う。友人の結婚式だというのに、俺は隣にいる宍戸さんの姿に惚れ直してずっとどきどきしっぱなしだ。
「おまえも似合ってるじゃねぇか。そのくしゃくしゃなネクタイ」
「もー、アスコットタイですってば」
スカーフにも見えるアスコットタイは昼間の正装だ。宍戸さんはこのふんわりとしたタイを朝から興味深そうに眺めてはときたま触ってきた。中学のときは榊監督もしていたし、初めて目にするわけでもないのに構造と布地の材質が気になるらしい。結び方は簡単なので宍戸さんもおそろいにしますか?と提案したらきっぱり断られた。
「結婚かぁ。いいですね」
「なんだ、いきなり」
「だって結婚式って素敵じゃないですか。みんなに祝福されて、主人公になったみたいで」
「結婚式ねぇ。したいの?」
したいのかと聞かれて、俺は口を噤んだ。数年前に結婚した姉のことを思い出したからだ。
蝶よ花よと育てられた姉は、蝶は蝶でもアゲハ蝶、花は花でも真っ赤なダリアのような人だ。大手企業に勤める姉は、どこで出会ったのか起業している男性、もとい義兄と、結婚式を二度挙げた。正確には披露宴は日本で、式は海外で。どちらかにまとめてすればいいだろうという家族の意見は聞き入れられず、日本では知り合いを招いて披露宴をし、親族と親しい友人を引き連れ海が綺麗な地中海へひとっ飛び、そこで式を挙げた。
ドレスに食事にホテルまで、姉は一切の妥協を許さず自分の好きなようにプロデュースした。その準備に一番に駆り出されたのが使い勝手のいい弟の俺で、あちこち荷物持ちに連れ回されたり交渉役にさせられたり、それはそれは大変な思いをした。だから結婚式には、招かれる側としてのいいイメージと、当事者側としての苦い思い出がある。
「うーん……式はいいです。大変だから」
「長太郎んちの結婚式すげぇもんな」
宍戸さんは出席こそしてはいないが、俺が東奔西走させられていたことはよく知っている。一緒に過ごせるはずの週末を何度もその用事に潰されたから当然だ。
「あれは姉さんが特殊で……親戚の結婚式はみんな普通でしたよ」
「そう言う割に若に姉ちゃんの自慢しまくってたらしいじゃんかよ」
「自慢ってほどしてないですよ」
募る文句は多々あれど、昔から姉弟仲はとてもいい。姉さんの晴れ姿は本当に綺麗だったので日吉にいっぱい見せてあげようと思ったのだ。
「まぁ、俺たちには一生縁のないことだな」
「そうですねぇ」
付き合い始めてからおよそ十数年。宍戸さんの言葉には、法的に結婚できないという意味での揶揄も、悲観もないし、俺もそれをわかっている。諦めは絶望ではないのだ。むしろ「一生」という言葉に、ずっと俺といるつもりでいる宍戸さんの本心が垣間見えて嬉しくもある。
「あ、俺たちも会場に移動ですって。パーティーなんて久しぶりだなぁ」
「食いもんこぼして汚すなよ。そのくしゃくしゃなやつ」
「これ、スタイじゃないですからね」
ぞろぞろと大移動する参列者たちに混ざって、青空を名残惜しそうに見上げた宍戸さんと一緒にホテルの中に足を踏み入れた。

式場は新幹線で一時間半かかる場所にあったので、自宅に着いた頃には時計の針はすでに二十二時を回っていた。二人分の引き出物をリビングに置いて、俺は湯船にお湯をためようとバスルームに向かった。リビングに戻ってくると宍戸さんがスーツを脱ごうとしている。
「ちょっと待って!」
「あ?」
「もうちょっとだけ宍戸さんの晴れ姿見させてください」
「晴れ姿ってなに。つーか疲れたから早く脱ぎたいんだけど」
「じゃあ俺にさせてください」
「まじ?」
「まじ」
もう一度、食い入るように宍戸さんの立ち姿を頭のてっぺんから足のつま先まで眺める。やっぱり、かっこいい。宍戸さんは旺然たる年齢の重ね方をしていると思う。今もテニスを続けているから体にたるんだところなどないし、十代のころに比べればハリの無くなった肌も、色気が増していっそう匂い立つというものだ。
まずは背後に回ってジャケットに手をかけ、次いでベストも脱がせてをハンガーにかけた。振り返ると宍戸さんが自分でカフスボタンを外していて、朝と同じくその仕草に眩暈がして膝から崩れ落ちそうになった。
「ぐっ……」
「どうした胸なんか押さえて。どっか痛いのか?」
「いえ……ネクタイ、外しますね」
ピンを外して、結び目に指を掛け引っ張る。するりと解けたそれはクリーニング行きだ。次はベルト。腰から抜いて、ファスナーを下ろしスラックスの前をくつろげる。跪いた俺の肩に宍戸さんが手を置いたので、足から抜き取る手伝いをした。
「なんか俺、執事みたいですね」
「執事、ねぇ」
「っ、」
なんの前触れもなく、宍戸さんの右足が俺の股間を踏みつけた。足の裏でぐにぐにと弄ばれれば、いとも容易く俺は反応してしまう。靴下がずり落ちないために付けているソックスガーターが扇情的で、露わになった膝、内腿、そして下着へと視点をずらせば、そこは既に緩く屹立していた。
「ししど、さん」
「ほら、長太郎が脱がせるんじゃなかったのか?」
宍戸さんは俺の目をまっすぐ見下ろしたまま、シャツのボタンを上からゆっくり外していき肩から滑り落とした。中に着ていた薄手のTシャツも脱ぐと、俺の顔に落として寄越す。一瞬宍戸さんの匂いがして、それはシャツと同様、フローリングに落ちていった。
見上げれば、ぴったりしたボクサーパンツとソックスガーターだけを身に付けた宍戸さん。
「なに、ぼーっとしてんの」
「宍戸さんに見惚れてました。どうしたんですか? どこでスイッチが入ったんですか?」
「別に、なんとなくだよ」
我に返った宍戸さんの足が俺の股間から離れていく。俺はその足をがっしり掴んで引き留めた。バランスを崩した宍戸さんが再び俺の肩に手をつく。
「うわっ、あぶね」
「やめないでください!」
「は? あっ、ちょっと、待って」
掴んだ片足を持ち上げて俺の肩に掛けさせれば、目の前は宍戸さんの下着でいっぱいになる。俺は形のいい宍戸さんの陰茎に布の上からむしゃぶりついた。亀頭の部分を口に含みながらカリ首を擽るように甘噛みすれば硬さがどんどん増していく。俺の唾液を吸った布地が張り付き、宍戸さんの陰茎は苦しそうに膨張した。肩に掛けた宍戸さんの内ももが震え、ぴったりくっついた俺の頬に伝わってくる。宍戸さんは俺の髪に指を滑らせて混ぜ込んだ。
「ちょうたろ……ちゃんと、しろ」
布越しの口淫がもどかしくなったのか、もぞもぞと腰を揺らす宍戸さんはいとけなく見える。
「宍戸さんも俺の服、脱がせてくれますか?」
「調子に乗んな」
布越しに宍戸さんの秘部にキスをして足を解放した俺は、立ち上がってジャケットを脱いだ。ベストもスラックスもいちいちハンガーに掛けずにソファーに放る。どうせ全部クリーニングに出すのだから神経質になることもないだろう。
タイに手をかけるところで宍戸さんに引っ張られた。無理矢理下向きにさせられて唇を奪われる。そうか、今日はまだキスをしていなかった。舌を絡めながらタイが抜き取られ、あっという間にシャツも脱がされ宍戸さんと同じ格好になっていた。
「なんつーか、あほみたいな格好だな」
「そうですか? 宍戸さんはとってもセクシーに見えますけど」
「未だにそういうこと言えるおまえが大好きだよ」
脱いだものを端によけてソファーに腰かけると、宍戸さんが下着を脱いで向かい合わせに跨ってきた。俺の下着は中途半端な位置にずり下ろされ、陰茎同士がくっつけられる。一緒に握りこんで扱き上げれば、宍戸さんは俺の首に腕を回して上体を預けてきた。耳元で荒い呼吸の中から小さく漏れ聞こえてくる喘ぎ声が俺を煽る。先走りのぬめりを借りて転がすように亀頭の先を刺激すれば、二人の限界はすぐそこまで来ていた。
「あ、ちょうた、ろ、もう」
「っ、俺も、っ」
二人分の迸りを手のひらで受け止める。呼吸が整うのを待って、宍戸さんは上体を起こした。
「疲れて帰ってきて、なんでもっと疲れることしてんだ俺たち」
「えっ、これからもっと疲れることするんじゃないんですか?」
「しねぇよ! 今日はこれで終わり!」
封をするように唇を押し付けられて何も言えなくなる。
俺の上から降りた宍戸さんは裸のままタオルを濡らして持ってきてくれた。また俺の上に乗っかって、精液に濡れた手を拭いてくれる。宍戸さんは綺麗になった俺の左手をじっと見つめた。
「結婚指輪ってどうして左手の薬指にするんだろうな」
「えーっと、あまり詳しくはないんですけど、左手の薬指は心臓に繋がる血管がある大事な指だと信じられていたからだそうですよ」
「なんでそんなこと知ってんの?」
「姉さんが結婚するときにいろいろ調べさせられたんで」
「ふーん」
俺の左手の薬指を撫でていた宍戸さんは、自分の口元に誘導して咥えると付け根をゆっくり噛んだ。歯が食い込んで痛みが走り、宍戸さんの舌が口の中の指先をあやすように撫でる。
ちゅっと軽く吸われて解放された薬指の根元には宍戸さんの歯形がくっきり刻まれていた。
「し、宍戸さんっ!」
「うまく付かないもんだな」
「なっ、これっ」
「けど、わるくねぇかも」
悪戯が成功した子どもみたいに歯を見せて笑う宍戸さんを抱きしめた。
「あはは、苦しいって」
「も~なんで急にこういう可愛いことするんですか!」
「いやーなんとなく」
「お、俺もします!」
宍戸さんの左手を取って、薬指の付け根に吸い付いた。強く吸ったつもりだったけど吸い痕はうっすら紅くついた程度で、きっとすぐに消えてしまうだろう。それでも、今の宍戸さんと俺には、同じ場所に相手が刻んだ痕がある。
「ふふ、なんかいいですね」
俺の右手は宍戸さんの左手に、宍戸さんの右手は俺の左手に添えられ、二人で薬指の痕を見下ろした。
そっと宍戸さんのおでこに唇を寄せると、顔を上げた宍戸さんも同じく俺のおでこにキスを返してくれた。くすぐったい感情で胸がほんのり温かくなる。好きだなぁ、ってしみじみ思う。
「さぁ、風呂入って寝ようぜ」
「一緒に入っていいですか?」
「しょうがねぇなぁ」
身に付けたままだったソックスガーターと靴下を脱いで、俺たちは二人一緒にバスルームに向かった。

 あの結婚式から三週間ほどが過ぎたころ、宍戸さんが結婚情報誌を買ってきた。姉の手伝いをしていた時に擦り切れるほど読みこんだことがあるので存在は嫌と言うほど知っているが、相変わらず一歩後退してしまうほどの分厚さである。
「どうしたんですか、これ」
「コンビニで見かけたから買ってみたんだけど、すげー重いぜコレ」
一緒に買ってきた缶ビールと一緒の袋に入れていたせいで表紙が水滴で濡れている。夕食を終え、ダイニングテーブルに雑誌を広げた宍戸さんの隣に座った。キッチンから持ってきた二つのグラスにビールを分け合って乾杯する。平日の晩酌は二人で一缶までと決めていた。だから、どちらかが居ない時や飲みたい気分じゃないときはもう一方も飲まない。
「結婚のマナーまで書いてあんのか」
「貯蓄のヒントも載ってますよ。あ、こっちはダイエット。花嫁さんは大変ですね」
「てか首都圏だけでこんなに式場あるのかよ」
「最近はレストランウェディングなんかも普通になりましたしね。この中から選ぶだけでもかなり骨が折れますよ」
「経験者は語るねぇ」
「俺が結婚したわけじゃないのに、ね」
ぺらぺら捲って式場の写真を眺める。チャペルが花やら貝殻やらで飾り付けられていて綺麗だ。
「あ、これ」
「婚姻届けだ」
その雑誌には付録として婚姻届けがついていた。ピンク色の用紙に可愛らしい絵柄のキャラクターが描かれたオリジナルのものらしい。
宍戸さんはテーブルの端に雑誌をどけて、空いたスペースにその婚姻届けを恭しく広げた。なるほど、と俺は席を立ってボールペンを取ってきた。
「じゃんけん」
「じゃんけん?」
「どっちに書くか」
「どっち……ああ」
夫になる人、妻になる人。俺たちの国ではどちらかになる人にしか、この紙は効力を持たない。だから俺たちにとってはただの付録の紙でしかないし、どちらに書き込むかもあまり意味のないことなのだ。
じゃんけんに勝った宍戸さんはちょっと考えてペンをくるっと回し、夫になる人の方に名前を書いた。住所、本籍、両親の名前、今の住所、署名。どちらの氏にするかは空欄で。
そして妻になる人の「妻」に二重線を引いて「夫」と書いた。
「これじゃ無効になっちゃいますよ」
「はなっから無効だろ、こんなもん」
「それもそうですね」
渡されたボールペンで鳳長太郎と書き込む。署名まで全部書いて、はんこどこに置いたっけ、と二人でタンスをごそごそ探した。朱肉に埋め込むようにはんこを押し付けてから署名の横に押印する。不完全な婚姻届けが出来上がった。
「あとは証人に署名してもらって役所に提出ですね」
「簡単なもんだな」
「本当、簡単ですね」
こんなに簡単なことが、俺たちにとっては何よりも難しい。
「これどうする?」
「どうしましょう。どこかに飾っておきますか?」
「ぜってー嫌だ」
「はは、冗談ですよ」
宍戸さんは片手で紙を摘まんで目の前に持ち上げた。
二人の名前が並んだ用紙を目にするのはテニスのオーダー表以来かもしれない。宍戸亮と鳳長太郎の文字が浮き出て見えて、俺はちょっと感慨深くなってしまった。
「燃やすか」
「えっ」
俺の感動は一瞬で吹っ飛ばされる。
「せっかく書いたのに?」
「だって取って置いたって意味ないだろ」
「意味はないかもしれませんけど……」
「二人で書いたっていう事実があればいいんだよ」
「……そういうものですか?」
「多分な」
宍戸さんは玄関から鍵入れにしているガラス製の灰皿を持ってきた。会社か何かの集まりでプレゼントされたものだが、どちらも煙草を吸わないので物入れとして使わせてもらっている。
「ライターってあったっけ」
「チャッカマンならあったかな。去年キャンプに持って行ったやつ」
「まだ点くのかよ」
「いけるんじゃないですかね」
サンダルをつっかけてベランダに出た俺たちはしゃがみこんで二人の真ん中に灰皿を置いた。
四つに折った婚姻届けに、宍戸さんが火を点けた。灰皿に落として、燃えていく様を見つめる。
「お炊き上げみたいですね」
「俺はバーベキューしたくなってきた」
「もうちょっとしんみりしたりとか無いんですか」
「無くは無いけど、まぁ、こんなもんかなって」
「はぁ、そうですか。もうちょっと暑くなったら向日先輩たちを誘ってまたキャンプ行きましょうよ」
「いいな」
すっかり灰になったそれは夜風に揺れて、破片が少し飛び散った。
俺たちは何に認められることもなく結ばれた。その証は燃えてしまったけれど今は六月。ジューンブライドは俺たちにも有効だろうか。

 そんな顛末から三ヶ月ほど経った本日、宍戸さんの誕生日である。俺はホテルのスイートルームを予約して、そこのレストランで宍戸さんと待ち合わせた。夜景が綺麗に眺望できる窓際の席で宍戸さんを待つ。
これだけの準備をしたのには理由がある。今夜、俺は宍戸さんにプロポーズしようと思うのだ。結婚という形にこだわらない宍戸さんを理解してしているし尊重もしている。けれど俺の中で婚姻届けを燃やしたあの夜のことが、灰皿の中の小さな炎のように燻っていた。実際に結婚は出来なくても、俺の意志をきちんと表明することは二人の今までとこれからの人生にとって大事なことではないのだろうか。結婚してくださいと宍戸さんに懇願して、そして受け入れてもらいたい。たとえごっこ遊びでしかなかったとしても、行動で示すことの大切さを俺は知っているのだ。
「よぉ」
「宍戸さん、お疲れ様でした。仕事、明日休んじゃって平気でした?」
「へーきへーき。たまには有給消化しないとだしな」
「よかった」
「それよりすげーとこだな。ここってアレだろ? 前に忍足が言ってた予約が全然取れないとこだろ?」
「ええ、まぁ、たまたまキャンセルが出たみたいで」
「まじ? ラッキーだな」
「はは」
嘘だ。義兄さんのツテを頼ってなんとか席を予約出来たのだ。
姉さんに渋い顔をされたが、俺には借りがありあまっているので、大事な人に大事な話をしたいんだと言ったら協力してくれた。
「俺の誕生日だからって何もこんな洒落たところで食事しなくてもいいのに」
「何言ってるんですか。大切な日ですよ」
「しかも上に部屋まで取って。なに、プロポーズでもすんの?」
「うっ」
「え」
「……」
「まじで?」
どうして俺はうまく嘘をつけないんだろう。
そして、どうして宍戸さんは思ったことをなんでも口にしちゃうんだろう。
乾杯のシャンパンとアペタイザーが並ぶテーブルの上に、俺は恐る恐るリングケースを差し出した。開いた中には細身のアームにダイヤを埋め込んだシンプルなデザインのエンゲージリングが鎮座している。
俺は額をテーブルにぶつける勢いで頭を下げた。
「宍戸さん、俺と結婚してください!」
「いやいや、動揺し過ぎだろ。絶対今のタイミングじゃねぇよ。まだ前菜じゃねーか」
「うぅ、だって、宍戸さん、言っちゃうからぁ」
「それは悪かった。でもまさか本当にプロポーズだとは思わないじゃん」
「俺、失敗しました?」
「失敗、っていうのかなこれ?」
「プロポーズなんて初めてですもん、許してください……」
「初めてじゃなかったら許さねぇよ」
リングケースを手に取った宍戸さんは中の指輪をまじまじと見つめた。
「本当に? 俺に?」
「はい。エンゲージリングです。俺とお揃いの」
「エンゲージ、か」
宍戸さんは箱の蓋を閉めてしまった。
パコっという乾いた音が俺の頭に直撃する。
「あの、気に入りませんでした?」
「え? ああ、いや、気に入ったよ。ありがとう。センスいいじゃねぇか、長太郎、……」
「……?」
「……エンゲージねぇ」
表情は暗くないし、気に入ってくれたのも嘘じゃないと思う。
けれど、宍戸さんの中で何かが引っかかるようだ。
「宍戸さんは、俺と結婚するの嫌ですか?」
「なんで? 嫌なわけないだろ。今だって似たようなもんだし、これからもおまえ以外いないんだから一生よろしく」
「っ、はい!」
一応、俺のプロポーズは成功したらしい。
出てくる料理はどれも美味しくて、俺は心の中で義兄さんと姉さんに礼を言った。受け入れてもらえたからといって今までと俺たちの生活が何か変わるわけではないけれど、それでも今夜のことは二人にとって一つの区切りとなるだろう。
部屋に移った俺たちは、せっかくの夜景もろくに見ずに大きなベッドで体を重ね合った。
指輪をつけてくれた宍戸さんは俺の腕の中ではにかみながら嬉しそうに笑って、俺がしたいことをなんでもさせてくれた。いつもは押し殺してしまう声も我慢せずに聞かせてくれて、宍戸さんの誕生日なのに俺の誕生日みたいに終始甘やかされてしまった。俺に穿たれて意識を手放した宍戸さんの胸にひたいを押し付けて眠る。とくとく、と流れ込んでくる心臓の鼓動を聞きながら、俺は宍戸さんとのこれからを想った。

 都会に珍しく雪が降った朝、外の寒さとは裏腹に俺たちは汗だくでベッドの上にいた。
「あ、あぁ……、はっ」
組み敷いてゆっくり挿入すると宍戸さんの体は波打つように震えだす。繋がったところから快感が全身に伝わっていって、体の髄が痺れてたまらなくなるらしい。震えを止めようとしているのか、宍戸さんは自分の体を掻きむしるように抱きしめた。
「爪立てたら、傷ついちゃいますから、ね、俺を抱きしめて」
腕を背に回してもらおうと上体を倒せば結合が深くなって、宍戸さんは喉を反らして声を震わせた。
寝起きのセックスというものは、どうしてこう没頭してしまうのだろう。寝ているところを俺に服をひん剥かれた宍戸さんとは対照的に、俺自身は交合するためにスウェットの下だけをずり下げた状態で、これから支度して仕事に行かなければならないのに腰を振るのを止められない。平日だし時間がないとわかっているからこその焦りが、より感度を高めている様にも思えた。
「い、もぅ……、イってる、からっ」
「はっ、っ、もうちょっと、」
「や、っ、んっ!……むり、もう抜けっ……てばぁ」
「っ……くっ、!」
射精して呼吸が落ち着いたらだんだん頭が覚醒してきて、背中にどっと冷や汗が噴き出た。やってしまった。絶対叱られる。宍戸さんにぴったりくっついたまま顔を上げられずにいると、「おい」と低くかすれた声がして次いで後頭部をべちんと叩かれた。
「人が眠ってる間に何してくれてんだよ」
「……途中まで半分寝てて思い出せないって言ったら怒ります……よね?」
「たまりすぎだろ」
「疲れてたんですかね……」
「もういいから、さっさと起きねぇと遅刻する」
「うぅ、ごめんなさい」
寝ぼけていてもコンドームだけはきちんとしていてよかった。これで中出しでもしようものなら右ストレートは確実だ。俺は起き上がってティッシュに丸めたコンドームをゴミ箱に捨てた。
「あ」
「どうしました?」
ベッドに寝ころんだままスマホをいじっていた宍戸さんがこちらにピースサインを送ってきた。
「雪で電車動かないからうちの会社は午前中自宅待機だって」
「え!」
「やったぜ」
メールを確認してみたが自分の会社からは特に連絡はない。電車の運行状況を調べてみても使っている路線は通勤に雪の影響はなさそうだった。
「うわ、こっちは地下鉄だから電車動いてる」
「ざまぁ。さっきの報いだな」
「この雪の中駅まで歩くのか……」
「がんばれよ~。俺はもうちょっと寝るから」
「朝ごはん一緒に食べましょうよー」
「おまえ、俺の睡眠時間削っておいてよくそんなことが言えるな」
「そうでした……支度します」
時間が無いので軽くシャワーを浴びたらトーストとミルクで簡単に朝食を済ませる。
スーツに着替えて革靴を手持ちの袋に詰め、ビジネス用のレインブーツを取り出した。会社に着いたら履き替えよう。吹雪いてはいないが足元は悪そうだ。
タオルも一枚持って行こうと準備をしていたら、宍戸さんが俺のスウェットの上半分だけを着てリビングに出てきた。サイズが一回り大きいそれは宍戸さんの足の付け根をすっぽり隠すので、いちいち下を穿くのが面倒くさい時にこの格好をしては俺を慌てさせる。
「宍戸さん! またそんな格好して!」
「あのさぁ」
「聞いてます?」
「やっぱりさっきのムカついたから仕返ししようと思って」
「はい?」
「ちょっと前に買ってたんだけどなかなか渡すタイミングなくてさ」
スリッパをぺたぺた言わせて宍戸さんが近づいてくる。薄手のカーテンから差し込む陽の光に晒された宍戸さんの頬は、まだ情事の名残に染まっていた。
「左手出して」
「左、ですか?」
差し出した左手の薬指に、宍戸さんは銀色に輝く指輪を嵌めた。
俺の思考は停止し、そして急速に回転しだした。今日ってなんかの記念日だっけ? なんでもない朝だよな、今。宍戸さん寝巻だし、俺はこれから仕事だし。突然? っていうか、
「なんで今?」
「さぁ? 仕事行きながら考えれば?」
「これって」
「マリッジリング。俺はあのときに指に付いた痕がエンゲージリングだと思ってたのに、おまえが別のエンゲージリング寄越すから」
「へ?」
「婚姻届けも燃やしちまったし、やっぱり残るものが欲しいんだと思って俺も買っておいたんだけど」
「はぁ」
「いらない?」
「い、いります」
「鳳長太郎くん」
「はい」
「俺と結婚してください」
「だからなんで今なんですかぁ」
俺は顔面から出るもの全部出しながら、困ったように笑う宍戸さんに背中を押されて家を出た。

本日のお日柄は良くもなく悪くもなく、最悪の空模様で、この度めでたく宍戸さんと結婚しましたことをご報告いたします。