何かに付けてヘべれけになるまで飲んでしまうのが大学生という生き物だ。
斯くいう俺も例に漏れず場の雰囲気に流され、飲んでは飲まされ、体の感覚が自分が制御できる範疇を超える一歩手前でそろそろ会もお開きということになり、帰り支度をしながら、同じ大学の面々でごった返す店内をぼんやり見渡していると、遠い席にまだ座ったままの長太郎と目が合った。
あっちはあっちで、周りを囲む女子たちに相当飲まされたようだ。酒には弱くなかったはずだが、あいつが酔っぱらったときに見せるぽーっとした瞳をこちらに向けて、こてんと首を傾けだらしなく笑った。つられてニカっと笑い返す。普段はこんなに人がたくさんいる場所で目配せしながら笑顔を交わすだなんてこと、俺は絶対にしない。それでもやってしまったのは、百パーセント、理性を亡き者にするアルコールのせいだ。ついでに顎を上げて「外で」と合図を送れば、長太郎は意味を理解し、目を輝かせてコクコク頷いて見せた。
「いつもながら大人気じゃねぇか、鳳くん」
「俺が断らないで飲むから面白がってるだけですよ。それに」
「それに?」
「手を出してこないってわかってるから、警戒しないで飲めるって皆さん集まってくるんだと思いますよ?」
「なんでそんなことおまえにわかるんだよ」
「ふふふ、なんででしょうねぇ」
夏の終わりの湿っぽい夜風が火照った肌に心地いい。もたつく足で歩けば肩がぶつかり、離れてはまた寄り添う。往来での接触も、今はアルコールのせいにできて都合がよかった。俺が住むアパートに着いたころには、酔いの火照りだけではない微熱が、腹の奥に宿り始めていた。
「お邪魔しまーす」
俺に続いた長太郎が鍵を施錠する。そういえば、こいつをうちに連れてきた日は自分で鍵を閉めたことがない。
狭い玄関で寄り掛かり合って靴を脱ぎながら、「ん」と長太郎の肩に手を置いて首を伸ばせば、無防備なキスが降ってくる。秘密を共有しているみたいで楽しくなって、鼻先を擦り合わせて笑い合えば微熱が温度を上げる。じゃれついてくる長太郎の体は、酔いのせいだろう、いつもより大分熱い。顔中に降ってくるキスをされるがまま受け止めていたら、手慣れた手つきでベルトのバックルを外された。
「はえーよ」
「だって、するでしょう?」
「ここではしない」
「じゃあベッドに行きましょう」
はやくはやく、と背中を押して急かしてくるから、されるがまま廊下を進んだ。子どもの頃にした電車ごっこを思い出す。
「待て、手」
運転手は俺だから、方向転換は自由自在。向かった先は洗面所で、鏡の前に二人重なったまま蛇口をひねった。背中に引っ付いている長太郎は、俺の腕の下から両手を出してきて、
「一緒に洗ってください」
と肩に顎を乗せてねだった。
石鹸を泡立て、長太郎の手の甲から握ってやり、指に指を絡めて爪の先まで洗ってやると耳元でくすくす笑うからこそばゆい。
「甘えんぼ」
「えへへ」
まるで大きな子供だが、長太郎を甘やかすのは嫌いじゃない。手首まで洗ってやって水で洗い流した。
「っ、」
耳たぶに生温かい感触がして鏡を見ると、舌を這わせる長太郎と目が合った。こいつは犬みたいに従順にまとわりついてくるくせに、ふとした瞬間に標準を定め狼の瞳でこちらを見る。口端を引き上げて歯を見せ、目を三日月のように細めて、俺の耳たぶを甘噛みした。
安っぽい挑発に、内心どきりとしてしまう。
けれど俺にも一端のプライドがあるので、動揺を悟らせないように同じく口端を引き上げて不敵に笑ってやった。多分、不敵に見えている、はず。
「ばーか」
「ふふ」
次の瞬間にまた犬に戻った長太郎は、何が嬉しいのかわからないがにこにこして俺に頬擦りした。濡れた手を拭いてやっていたら器用にTシャツを脱がされたので、俺は長太郎の腕の中で振り向いて、シャツを脱がせてやろうとボタンに指を掛けた。
酔っ払いながらボタンを外すのは億劫でしかたない。飲んだら結局こうなるんだってわかってるんだから、もっと簡単に脱がせられる服を着てくればいいのに、なんて思ってても口には出さないが。
「こっち向いて欲しいです」
その声に顔を上げると、頬が両手で包まれ、すくうように口付けられた。好きにさせておいて手探りでボタンを全部外し、肩からシャツを滑らせ床に落とす。長太郎は唇で俺の唇を挟んだり舐めてみたりするので、唇を合わせたまま「遊ぶな」と囁いてやると、開いた歯の隙間から舌が入ってきて口蓋をくすぐられた。ここを舐められると俺が気持ちよくなることを、こいつは知っている。凹凸を一つ一つなぞるように舌先でつつかれると、うなじがぞわぞわして背が震えるのだ。
「遊ばなければいいですか?」
一瞬見せた獣の眼差しをすぐに引っ込めて、長太郎はふにゃふにゃした口調で甘えだした。
「はやくしましょうよ~」
「だからベッドだって」
「宍戸さん、ぎゅーってしたいです。そんで、俺のこともぎゅーってしてください」
願い通りに抱きついて、力いっぱい抱きしめてやる。長太郎は、ぐえ、とカエルが潰れるような色気のない声を出した。
「うぅ、嬉しいけど、そういうことじゃないんです~」
「だったら付いてきてくださーい」
踵を返して長太郎の腕を腰に巻き付かせれば、快速列車はまた進み出す。途中、洗濯物を干していたラックからバスタオルを引き抜くのも忘れない。この部屋は長太郎の部屋と違ってリビングと寝室に仕切りがないから、ベッドにたどり着くのはあっという間だ。
「とうちゃーく」
「わーい」
長太郎は仰々しく両腕を上げて喜ぶ仕草をする。解放された俺はベッドの上を四つん這いになって進み、枕元のチェストに手を伸ばした。この中にはコンドームとローションが常備されている。長太郎の部屋でする事が多いから減りは遅いのだが、いざというときに切らしてしまうことのないようにこまめに買い足すようにしている。ごそごそと中を探っていると、後ろからジーンズのファスナーを下ろされ下着ごとずり下げられた。咎めようとしたけれど、自分で脱ぐ手間が省けるしいいか、と寝転んだところでそのまま足から引き抜かれる。
「宍戸さーん」
抱きついてくる長太郎の麻のパンツも、足で剥ぐようにして下着ごと脱がせてやった。
「ん」
「んー」
唇の熱を押しつけあう。
俺たちはキスしたいときに言葉を使わなかった。なぜか通じてしまうのだ。お互いにキスしたがっているから、それだけの理由かもしれないが、心が通じるみたいで俺は好きだ。
「飲み会のときから、ずーっと宍戸さんに触りたかったんですよ」
「おまえ、本当はそんなに酔ってねぇだろ」
「そんなことないですよぉ。ふわふわして気持ちいいです」
ふわふわしているやつはキスを仕掛けながら乳首をこねたりしない。つぶしたり、摘まんだり、最近の長太郎は隙あらば手遊びするのが好きらしい。
「ちっちゃいおっぱい可愛いです」
「失礼すぎだろ」
「そういう意味じゃないですよ」
刺激されて硬くなったそれを、今度は舌で弄び始めた。前まで全然感じなかったはずなのに、長太郎がしつこく舐るから、最近はむず痒く感じ始めて少しだけ焦っている。このまま乳首でも感じるようになってしまったらどうしよう。
「ひひろはん、きもひよくなりませんか?」
「んっ、そこでしゃべんな」
「んぅ」
「そんな、吸うなって……はは、赤ちゃんみてぇ」
「にゃー?」
「ふはっ、おまえ、それじゃ猫だろ」
「あれ? あ、そっか。あはは」
アルコールで緩んだ頭には、なんでもないことが殊更おかしく感じられる。二人してかなり回っている自覚はあるけれど、速まる脈拍に反して穏やかな気持ちで触れ合うのは心地がいいから、酔いが醒めてしまうまで自分を律することはやめよう。
俺の胸にひたいをつけて笑い続けるこいつを、実家の犬にするみたいにわしゃわしゃして抱きしめたくなって、そう思った次の瞬間には手が勝手に動いて長太郎の髪の毛をかき混ぜていた。なんだろう、この生き物は。子供みたいに全幅の信頼を寄せて体をゆだねてくる無防備さよ。俺に傷つけられるなんて微塵も思っていない、迂闊で愚鈍な愛しい男。
……愛しいだって。
何考えてんだろ、俺。でも、あーあ、なんつーか、
「かわいい」
「え? 宍戸さん、何か言いました?」
「何でもない」
撫でる振りをして長太郎の耳を塞いでいたずるい俺の独白は、目論見通りに届かなかった。
ちょっとしたスリルにどきどきする。今は頭のネジが二個も三個も外れているから、少しくらいいつもは言えないことを言ったっていいよな。
「つーか、あちぃよ」
「暑いですねぇ。ふふ、宍戸さんの肌、汗かいてぺたぺたします」
「長太郎も同じようなもんだろ」
「それじゃあ冷やしましょうか」
のらりくらり起き上がった長太郎は、俺がさっきベッドに転がしたボトルをわし掴んだ。
「お、するんだ」
「しますよー? しないんですか?」
「するけど」
ひっついてはなれないから、なんとなくこのままじゃれ合いながら眠りたくなったんじゃないかと思ったんだけど違ったみたいだ。キャップを開けてボトルをひっくり返した長太郎は、両手で力任せに握って中身を俺の股間にぶちまけた。
「うっわ! おまえ、出すなら出すって言えよ」
「あれー? あんまり冷たくないですね」
「今日も暑かったからな。部屋ん中置きっぱなしだったし」
配慮がなくて大雑把。いつものセックスとはまるっきり真逆に俺を扱う長太郎の、これが本性なのかもしれない。俺はというと、実はさして気にならない。時速二百キロ近いボールを俺に打ち込みまくったやつに、今更壊れ物のように扱われても片腹痛いというものだ。普段、長太郎はなるべく丁寧に触れるように意識しているようだけど、こいつに触られるのはどんな方法でも嫌悪感はないんだから好きにすればいいのに。俺の方は好きにしているわけだし、せめてセックスくらいはもっとフェアであって良いと、俺は思うのだ。
「あっ、バスタオル。持ってきたのに下に敷かなかっただろ」
「そうだった、忘れてました。どうしよ」
「あーもう」
せっかく残り少ない理性でシーツが汚れないようにバスタオルを持ってきたというのにこれではまるで意味がない。仕方ないので諦めて、思い切って起き上がり長太郎と対面座位になった。手のひらを差し出されたので、ボトルの中身を垂らしてやる。俺は膝立ちになって長太郎の頭を抱えた。こうすれば、後ろに手を回した長太郎がおのずと俺の排泄器を性器に作り替えてくれる。
「お酒を飲んだ宍戸さんのなかは、一段と熱いですね」
始めから指を二本突っ込んでくるあたり容赦がない。同時に前の方もしごかれて、内股が震えだし、腰は砕けそうになる。長太郎が弄くるたびに、ぶちまけられた潤滑剤が卑猥な音を発して、羞恥心で頭がぼーっとしてきた。
「んあっ!」
突然、胸の尖りに歯を立てられて、電流が腰まで走ったような刺激に背骨が震える。不意を付かれて無意識に長太郎の指を締め付けたら、ちょうど指先が前立腺を押し上げて、たまらず腰を突き出してしまった。
「はぁっ、やば……イきそうだった」
「おっぱい、気持ちよくなりました?」
「……ちょっと」
満足そうな顔してこっちを見上げてくるんじゃない。
またこいつに体を作り替えられつつある。嫌じゃないけど、どこか癪に障って気に食わない。
「長太郎、あ」
「あ?」
両手でがっちり頭をホールドして、ぱかっと開かれた口の中に思いっきり舌を突っ込んでやった。びっくりして引っ込む舌を追いかけ、唾液を絡ませて繰り返し味蕾を擦り合わせる。長太郎はこうされるのが好きだと、俺は知っている。粘膜を万遍なく舐めてやると、長太郎はたまった二人分の唾液をこくりと喉を鳴らして飲み込んだ。最後にちゅぽんと舌を吸って離してやると、涙を覆った瞳が何か言いたげに俺の唇を見ていた。
「はぁ……宍戸さん、キス上手ですよね」
「おまえ限定だけどな」
「悔しいなぁ。俺もうまくなりたい」
「まぁ頑張れ」
下手ではないと思うのだが、俺の反応が薄いので自信がないのかもしれない。こっちの気も知らないで。長太郎は俺から抜いた指をタオルで拭い、いそいそとコンドームを付け始めた。
「早く、早く」
長太郎の肩をぺちぺち叩いてわざと焦らせてみる。ちょっと楽しい。
「急かさないでくださいよぉ。あれ? あ~これ裏だ。間違えた」
「下手くそ、貸せよ」
長太郎から半透明のコンドームを奪い取って付けてやる。十分に勃起しているから酔いの回った手先でも簡単に装着できるのに、失敗してキマらないところが俺のツボを突いてくるんだ。こいつには言わないけど。
またボトルから絞り出すのが面倒で、俺の太股に垂れまくっているローションを手で集めて長太郎に塗りたくった。俺も随分とこいつを雑に扱っている。
「入れるぞ」
「はー……い、」
「……あっつ」
腰を落として全部飲み込むと、長太郎の熱さで腹の中がじんじんした。アルコールのせいで敏感になっているのかもしれない。ささやかな快感が、染み込むようにじわじわと意識を浸食してくる。俺は自然と長太郎を抱きしめていた。肌をぴったり合わせるのはひどく心が安らいで、アルコールの効力も相まって少し眠くなってくる。
「うそ、宍戸さん眠いんですか?」
「んー? まだ寝ない」
「眠い人はそう言うんですよ。起きてくださいよ~。入れたばっかりじゃないですか」
「んあ~」
「あっ、ちょっと、急に後ろに倒れないで!」
俺を起こそうと長太郎が揺さぶってきたから、反動で倒れ込もうとしたら腕を掴まれて宙ぶらりんにされた。
性欲もそうだけど、睡眠欲に抵抗するのはものすごく難しい。
長太郎は俺に大概甘いので、引っ張り起こそうとはしないでそのままシーツに横たえてくれた。抜けて出ていってしまった腹の中が物寂しいが、湿った肌に乾いたシーツが気持ちいい。しかし、このまま夢の世界へ、とはいかせてくれないのが酔っぱらった長太郎の真骨頂なのだ。
「宍戸さん寝てていいんで、続けて良いですか?」
そう言うと思った。脱力した俺の足を軽々開かせて、俺の返事も待たずに再度挿入してくる。
「んっ、」
「はぁ、宍戸さん本当に眠いんだ。ここも力抜けてる」
「してもいいけど、多分、途中で寝落ちるぞ?」
「もう、わがまま過ぎます」
「どっちがだよ」
話しながら長太郎は腰をゆるゆる振りだした。自分本意な律動。俺の快感を引き出すことに躍起になるのが俺たちのセックスだとすれば、これは長太郎自身のためのセックスだ。別に腹は立たない。俺だって逆の立場、長太郎が眠そうにしていたとしても、きっと上に乗っかって腰を振っていたと思う。
「ふっ、あ、んぅ……」
「宍戸さん、っ、宍戸さん」
それでも切なく俺を呼ぶから、俺は夢の縁で重い腕を広げた。
「ちょうたろ、ぎゅー、は?」
「え、待って、もうイきそうで、」
あれだけ強請っていたから約束を守ってやろうと思ったのに、どこまでも自分勝手なやつだ。まぁいい。好きにしろと言ったのは俺だ。もうまぶたが重くて開かないんだ。残っているアルコールと眠気で意識を浮遊させた俺は、
「かわいいやつ」
と呟いて眠りに落ちた。
果たしてこいつの耳に届いていたかどうか。
きっと俺は目が覚めたらすっかり忘れていることだろう。
だから、もし聞こえていたとしても、聞こえなかったふりしておいてくれよ。